神がかりの社会的効能
本日の曲The Osmond Brothers - "L - O - V - E" (Year 1966)Andy Williams and The Osmond Brothers - High is Better Than Low(Year 1965)オズモンドブラザーズの全盛期なかなかよかったのであります大昔の沖縄出身のグループ「フィンガーファイブ」にも影響を与えたアンディウィリアムズ・ショーにも出演本日のテーママトリックス・リローゼットという映画の中に「預言者」とかいう呼び方で「神がかりのばあさん」が出てくる。あれはけっこう重要な存在ではないか。マトリックス・リローゼット 以前私が書いた文章秋葉原事件や、大阪の子供を餓死させた母親の事件いろいろ世の中を騒がせる大事件は多い訳ですが、私の感触を言えば、あれの一歩手前みたいな相談事例はけっこう私のところへも多数舞い込んでくる感じです。犯罪すれすれみたいな・・・マスコミが現場に取材にでかける以前の、最初期のなまなましい情報が、霊能者への心霊相談みたいな意想外の場所に登場する。自殺寸前の経営者だの、育児ノイローゼだの、殺人事件まで行きかねない不倫のどろどろだの、セクハラオヤジ寸前で自己コントロール能力を取り戻したいエリートの悩みだの・・・・地域社会の崩壊が加速し、個人はどんどん孤独化する。社会という抑止装置がないために、人々がどんどん異常化するという構造です。誰にも言えない、重大だが個人的にはきわめて恥ずかしいことを相談する場所がない。友達がいない。何かあったとき誰も助けてくれない。極限の自由があるかわりにそれとは裏腹の究極の孤独地獄。大昔、ムラ社会があったころは、ムラのいたるところに長老たちがいて、地域の共同体の中での助け合いがあって、井戸端会議でムラの民主主義が機能していた。封建的な世間とでもいいますか、地域共同体につきまとう義理や義務、うっとおしいしがらみとかは当然あったでしょうが、秋葉原事件や、子供を餓死させた母親の事件みたいなものは、未然に予防できていた筈なのです。そういう場所に「神がかりのばあさん」なんかが、ごく日常的に混在していて、未来を予測したり、身の上相談に乗ったり、除霊したり、結界をはったりたたりを静めたり、そんなことはごく普通の光景だった。みんな「神がかり」の何かに接触することで、異常化を防いでいた。「神ががりのばあさん」プラス地域共同体の助け合い、ルソーもワイマール憲法も関係なく、たかがこれだけの装置で維持されていた社会の安寧秩序を思うとき、我々が近代化の代償として何を失ったのか慄然とする思いであります。最近の読書アルフレッドー・モーリー著「魔術と占星術」を再読した。アンドレ・ブルトンやフロイトにも影響を与えた19世紀の学者です。モーリーは一種の博物学者で、特定の型にはまらないタイプの学者のようです。割と醒めた感じで、オカルト全般を科学的に分析している。唯物論者の宗教研究と似ていなくもないが、「魔術」や「夢」に関する考察はむしろ精神分析を専門とする学者たちに参考資料を提供しているように思えます。斉藤学著「家族という名の孤独」「アダルト・チルドレンと家族」を読み始めた。芹沢俊介氏や小浜逸郎氏とは、また別の精神科医の立場から、現代の家族の問題を扱っている。アル中、児童虐待、摂食障害等々・・・前に書いた片田珠美氏の著書と同様私の仕事と深い関連性があっておおいに参考になります。浅野祐吾著「軍事思想史入門」の新装版を買ってきて何年かぶりに再読しはじめたのは、おそらくゲル様(石破茂)と田岡俊次氏の影響でしょう。自衛隊の幹部学校で戦術教官を長く勤めた人ですが、文学にも造詣の深いインテリと知って意外。新装版の解説を読んでみてはじめて知る。戦史作家の土門周平氏と自衛隊内で交流があったというのも今回はじめて知った新事実。土門周平氏の著書なども読み返してみたくなってきた。ニコニコ動画に小沢一郎登場。長時間、出席者たちと対談。コメントがうざいので非表示にする「日本改造計画」に書かれていることにその後、一切変更なしと明言。私はこの著書に書かれてある内容を評価する前にも書いたようにヴォルフレン氏の「日本的権力構造の謎」で提起されている問題へのひとつの回答たりうると考えるからです。私の見解だと小沢氏はむしろ政策通の政治思想家的力量の持ち主。その思想こそが重要なのであります。日米同盟・アメリカ軍に関する意見特にアフガニスタン分析などは同感するところ多し。実に興味深かった。