三島由紀夫の殉教美学
三島由紀夫の作品で、私がとりわけ好きなのは初期の短編集でして、長編では「豊穣の海」四部作、「美しい星」「鏡子の家」といったあたり、評論では「作家論」などが好きで、官能的すぎるものとか、オスカー・ワイルドやジイドの影響を受けたとおぼしき同性愛的傾向の作品は、正直言って私にはよく解りません。三島と親しく交わった林房雄なども私は好きですが政治評論の類は林ほどはおもしろくない。ラディゲの影響を濃厚に受けた初期の短編は、独特の雰囲気を持っており「あなたの作品は小説ではなくて詩だ」と面と向かって指摘した小林秀雄の言葉は極論すぎるにせよ、基本的に三島は短編小説作家ではないかというのが私の考えです。三島由紀夫の壮絶な自決は、「非合理」でかつ「不合理」な独自の思想の必然的な帰結であり、ドストエフスキーの主題にからめて言えば、「悪霊」に出てくる登場人物キリーロフの実存哲学から導かれる結論と最も近いものと言えるのではないか。同世代が神風特攻隊によって死へと散華していった中、不覚にも生き延びてしまった三島は、そのことへの忸怩たる思いを生涯持ち続け、大義のためいかにして美しく死ぬか、死ねるかという「殉教」のテーマは、三島のあらゆる作品を貫徹しております。豊穣の海の「奔馬」「午後の曳航」「憂国」然り。「荒野より」「太陽と鉄」然り。三島の主演映画「からっ風野郎」然り。三島由紀夫は、死によって限定され圧縮された生という「葉隠」のテーマにこだわり続け、最晩年には、「熊本神風連」の研究に没頭していたと言われます。「死」のために学び、「死」へと向かってひたすら筋肉の鍛錬にはげみ、武道に挑戦し、軍事訓練を行い、「死」をいたるところに潜伏させた、きらびやかな王朝風文学を完成させた三島由紀夫。死によって限定された生というテーマは、実はキリスト教的なテーマでもありまして、「死」によって「永遠」を生きる、教祖の十字架上の死のみならず、原始教団を見舞った迫害と殉教の歴史というものへとつながっていく。信者の方たちは神の子としていったん死んだキリストが復活したということを信じているわけでありますから、ヨーロッパ的合理主義世界のど真ん中に最大規模の神秘と不条理がある訳で、彼らとて我々不条理なる日本主義者とそれほどかけ離れている訳ではない。それがベルジャーエフの読者であれ、古いタイプの博識で厳格なカール・バルト主義者であれ、どのような理論武装をしようとて、その最内奥の核心にあるのは神の奇蹟、イエスの復活といったものであって、科学的合理主義とは正反対、まさに対極の思想にほかなりません。 三島が研究していた熊本神風連の精神的イデオローグであった林桜園は本居宣長の影響が強かった神秘思想家であり、宇気比(うけい)といわれる神がかりにて神命を司る人だった。神風連から強い影響を受けた三島が独自に宇気比(うけい)のような行為を行っていたかどうか、それは解りませんが晩年の三島はよく226事件の青年将校たちの幻影を見たと言います。三島の死は、死ぬことによって、自分の作品と思想を永遠たらしめようとする、それ自体が文学的創作活動と連動する、美的行為なのでありました。東京裁判の舞台となった市ケ谷台の自衛隊(旧陸軍士官学校)、歴史を象徴するこの建物のバルコニーが、三島由紀夫最後の壮絶な舞台となりました。早すぎる死によって、後輩を育成する、若い人たちの魂に命を賦活する任務を放棄した重大責任は残るにせよ、また一部で言われているごとく森田必勝を巻き込んだ無理心中であったにせよ(そこに太宰治の影響を読み取る人たちもいる)「魂の死んだ日本になってそれでよいのか」と文学及び行為によって永遠の問いかけを残した、その重たい問題提起は現在でも生きており、彼の作品はいろんな角度から読まれ研究され続けており、その意味で三島は死ぬことによって見事永遠の生命を獲得したのだとも言えます。参考文献)神風連の変とは参考映像資料)三島由紀夫武士道を語る三島 vs 東大全共闘三島由紀夫インタビュー(英語)映画「人斬り」三島由紀夫が出演。切腹するアメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】第二次世界大戦