円珍関係文書 @国宝
日本に 大師 と呼ばれる高僧の中の高僧、宗派の祖となった僧は25人いる。最も古いのは最澄である。最も有名なのが弘法大師 空海である。こんな事は知らなくても十分生きていける。円珍 は唐に渡って学んだ8人のひとり、天台宗寺門派の開祖で、三井寺の法主となった。死後智証大師が追贈された。ユネスコは世界遺産の認定機関として有名だけど、広く文化教育事業を行っている。ユネスコが認定する「世界の記憶」という文書?が世界には400件あまり存在する。その中に円珍関連文書が認定されている。円珍関連文書は50通ほどあるらしいが、それは全て世界の記憶に認定されている。この古文書は、円珍と従者2名の計3名が現在の浙江省を通過する際に官吏が発行した通行手形である。円珍が日本を離れ福州に至り、開元寺で学び、長安に遊学に行くみたいな事が書かれている。国宝! 凄すぎる!時代は唐時代の末期の853年である。853年に中国の浙江省から長安まで旅するのは危険な大冒険だったことだろう。お金が幾らかかって何食べてどんな宿に泊まったのか。。日本の国宝とユネスコの世界の記憶のどちらが上かはよくわからないけど、両方に認定されている文書はそんなに多くないんじゃないかな。