楊妙愈墓誌銘 @北魏~北周 楊敷 ようふ の夫人の墓誌
魏から北周にかけて活躍した官僚・武将の楊敷(ようふ)という人物の夫人の「妙瑜」という女性の墓誌銘と蓋の拓本2枚組み。 妙の本名は、蕭妙瑜=しょうみょうゆ という。父親は簫紀、梁の国の初代皇帝である武帝の第8子である。つまり妙は、楊敷の婦人となる以前は梁の皇帝の孫という極めて位の高い貴族だった。これは2行目に 「梁高祖武皇帝之孫,丞相武陵貞獻王之女也」 つまり、梁の初代皇帝武帝の孫で武稜王の娘なり、と書かれていることから明らかだ。夫の楊敷が亡くなった後もかなり長命で607年に隋の時代にこの墓石が彫られている。西安碑林前の古書店で購入した。価格はオヤジからまとめて買ったので細かくは覚えていないが、大体2枚で800元ぐらい(約13,500円)だった。この程度で古代中国南北朝時代の皇帝の孫の墓誌銘原拓本が入手でき、古代ロマンを味わえるのなら極めて安価であろう。 この拓本の文字は極めて美しい楷書で、やや文字線が細い印象を受ける。蘇孝慈墓誌銘と同じ書丹者が書いたのではないかという推測もあるようだ。書家や篆刻家が誰かは記されていないので明らかにはならないのだろうが。父の簫紀(しょうき)については、父の武帝亡き後の混乱時代に自ら「梁の皇帝」を名乗ったが、これは僭称皇帝と云われて通史の上は皇帝ではない。http://csid.zju.edu.cn/tomb/stone/detail?id=8a8fbda74ca22703014ca22a4f2e1545&rubbingId=8a8fbda74d093780014d270117bc1558中国のせっこう省の大学ページからは、1996年に陝西潼關縣亢家寨出土。とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E6%95%B7 ウィキにも 夫 楊敷=ようふ の事は詳細に出ているが、ウィキは正確なのか疑わしいという。 http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20070622/p2 この↑「枕流亭のブログ」さん には、夫の楊敷=ようふ の事が詳しく書かれている。相当な歴史家。夫の楊敷 ようふ の墓誌銘が発見されていればもっと詳しいことがわるのだが、夫の墓誌は未発見らしく。