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カテゴリ:絵画・拓本・収集
西安で元や物々交換計16万円を使って手に入れた拓本14枚の、墓誌の意味や神道碑の意味がわかったら順次掲載して行きたいと考えている。 さて、この楊公墓誌は、横約67センチ、盾は約69センチぐらいのほぼ正方形の堂々とした墓碑で、楊津=ようしん 469-531 という北魏の官僚の墓誌銘の拓本と判明した。 B1のポスターフレームに収めてみた。 文字はほぼ楷書体で篆刻されており、531年にこのような美しい楷書が書かれていた事に驚く。 墓誌銘が彫られる様な人はとても高貴な人や位の高い軍人などだが、楊津は孝文帝に仕え、厚い信頼を得ていた重臣らしい。北魏といえば古代中国の大帝国であり、その国政に関わる重要な人物の墓石の拓本が東京都の我が家にある事が少し不思議に思う。 それほど貴重な拓本が何故売られているかといえば、西安ならではの事情がある。西安の周辺は、北魏、北周、隋、唐などの都であった長安や洛陽があった場所。1900年代はじめから現在まで、地下鉄やビル建設工事中に沢山の墓碑が土中から出てきている。墓碑は土中にあると風化せず亀裂も無いため状態が良いという。だから墓碑に書かれたその貴族や軍人の歴史が中国史を補完したり、新事実として認定されたりしているのである。 土中から墓誌銘が発見されると、だいたい近くの博物館に収蔵される。少し前まで博物館にあっても拓本が取られていたが、現在は法律で博物館に収蔵されると拓本が採れなくなってしまうので、博物館に行く前に何らかのコネルートで拓本が取られて、それがまたコネのある拓本販売店に収まると考えられるのだ。この時代の墓誌銘は国の中心であった長安や洛陽周辺からしか出てこないから、西安は特別な場所なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.02.13 19:04:24
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