いのちについて考える (12/12)
小学5,6年生に「こころの教室」を実施した 法務省は「人権教室」という言葉を使う。この「人権教室」という言葉は、役所(政府)が使う「上から目線」の言葉だ。明治維新以降、国家とか国民(臣民)という概念が生まれ、日本は近代国家をめざす歩みを始めた。 明治新政府は西欧列強に追いつき追い越すため「富国強兵」の実現を目指した。だから、大日本帝国憲法下では、「国民を教育する」という意識から脱却できなかった。そして戦後になって新憲法のもとでも「お役所目線」は変わっていない。 「主権者教育」という言葉こそ、お役所の「上から目線」を表した言葉はない。文科省の役人が考えだろうが、「主権者を教育しよう」など不遜極まりない。「こころの時間」 私は、人権は「上から目線で教えるものではない」と思う。だから、人権教室ではなく「こころの教室」と呼ぶ。できるだけ「子どもの目線」で身近な問題を考えさせ、行動に移すための「心の栄養」を与えることを大事にしている。 冒頭で子どもたちに、「今日はどんな答えでも、正解とか間違いということはありません。いろんな考えがあることが当たり前なのです」と告げる。まずは、子どもたちを聴くだけの受け身の姿勢から、主体的に考え発言する姿勢に変えたい。「かけがえのない自分(いのち)」 小学5,6年生の子どもたちにとって、「いのち」とか「生きることの意味」を考えさせるのは無駄なことではない。普段あまりこのようなことについて考えることが無いからこそ、立ち止まって考えさせたいと思う。「命は継がれてゆく」 現生人類になって20万年、その中で命は継がれてきた。そして、自分と全く同じ人間は現在でも過去でも未来でも二度と表れない。だからこそ、いのちはかけがえのない大切なもの。このことを「いのちの歌」(作詞 竹内まりや」の歌詞を考えさせながら伝えていった。「人権という言葉は最後に出す」 感想文には、模範解答的な言葉が並んでいたが、「こころの時間」の中でいくつかの発問を投げかけたが、そのなかにいくつかの光る言葉があった。いつも、子どもたちの中から出てくるこの素朴な発言の中に、はっとさせられる言葉がある。 そんなとき、自分は「子ども目線に立ち得ていない」のだなと思う。この一期一会の時間は、自分が生きているからこそもらえる「大切な宝物」なのだ。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックして下さい。写真日記ランキング地球市民の人権教育 15歳からのレッスンプラン [ 肥下彰男 ]価格:1,980円(税込、送料無料) (2024/12/19時点)楽天で購入