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カテゴリ:人間として本物とはなにか(人格論)
人間として本物になるための3つの問い
1.不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを持っているか 2.より以上をめざして生きているか 3.人の役に立つ人間になっているか ・・・・・・・・・・・・・・ 1.不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを持っているか ・不完全性の自覚とはなにか 「人間は神でもなく、動物でもない」 神は完全・絶対的 完全になろうとしてもなれない(人間は神ではないから) 動物は不完全性を理解していない 「不完全な人間と」して人間らしく誇りを持って生きる時代 ・「神」は存在するのか? →感性論哲学では、「神」という言葉が存在することは認める。 「神」が存在するかどうかは問題にはしない。 宗教は、「神は存在する」という前提から始まる。 しかし聖書も「はじめにことばありき」から始まる。 「目に見えるものの背後に、目に見えないものが存在する」ことを 確信することから、「目に見えないものを大切にする心」が生まれた。 ⇒謙虚さがにじみ出てこそ初めて本物になれる ※謙虚さを持つためには A.人間は長所半分・短所半分と自覚する 短所は「活人力」になる。長所で、だまって人を助ける。 自分にも短所があることを自覚することで謙虚さを持てる 短所がなくなると人間でなくなる。なくなることはない。 短所があるから謙虚さが生まれる 短所を出ないように意識することが人間性を高める B.謙虚な理性を作る 理性は合理的に考えるすばらしい能力であるが、 合理的にしか考えられない有限・不完全な能力である。 理性は正しい判断はできるが、完全ではない。 理性を「よりよい」ことを考えるために使う夢・理想を作り出す力。 謙虚だけではだめ。それを裏付ける自信を持つ。自信だけでは傲慢。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月06日 19時21分22秒
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