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カテゴリ:言葉
先日落ち込みやすいのだがどーしたら…といったような相談を受けた。
落ち込んでいる、ということの実体や如何に。
結論から言えば、実体はない。
落ち込んでいる、と思っているだけだ。
落ち込んでいる、と思っている間は、落ち込んだ原因に対して行動は起こらない。 行動を起こさない自分に対して正当性が成り立つ…と、これまた自分では思っている。
そのことは周囲にとっては、何の関係もない。 落ち込んでいる(と思っている)結果として、例えば仕事がうまく回らないのであれば、仕事のできんやつ、で片づけられる。つまり当たり前だが正当性は認められない。
落ち込んだ事柄に関して、本当に自分の問題ととらえているならば、落ち込むことはない。
いや、一瞬落ち込むのかもしれないが、それは、行動し、どうしたら解決に向かうのか、考えていくスイッチのようなものだ。
いつまでも、だらだらと落ち込んでいる、などということはありえない。
例えば、公衆便所に入って用は足したものの紙がない!というような場合、いつまでも落ち込んでいるより、何か他のもので拭くか、あるいは拭かないか、選択して行動しなくては、いつまでも便所をでられない(もちろん、便所を出ない、というのも一つの選択肢ではある)。
だらだら落ち込んでいる状態に陥る(いや自分から作り出す、というのが実は正しい)というのは、実は直面したことがたいした問題ではないか、あるいは自分の問題としてとらえることができていないか、どちらかではないか?
後者の言い方を変えると、逃げ癖、とも言える。
自分で問題を解決するのではなく、誰かが解決してくれるのを待つ、という構えだ。
それはそれで、何とか生きているゆるい世の中なのだが、自分自身が育つことはないから、依存傾向を強くしていくことになる。
落ち込んでいる人に甘い言葉をかけることは簡単だ。そして無責任である。 相手とどういう関係を作っていくか、自分の役割は何か、そういうことでかける言葉はもちろん変わる。 ただ、私からすれば、無駄に落ち込んだ氣になって、貴重な人生を潰していくのはもったいないな、と思ってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.09.14 13:59:15
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