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  徒"然草 ~づれづれなるままに~  by 整体処 明響庵(めいきょうあん)

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なまはげ侍

なまはげ侍

2016.02.25
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カテゴリ:医、健康、からだ

治療院をしていれば、当たり前だが、病院などで病名をいただいてくる人がある。

 

あるいは、ネットでたいていのことはすぐ調べられる(真実か否かは別にして)時代だから、自分の症状から調べていって、どうもこの病気ではないか、と自ら命名している方もいるくらいだ。

 

 

しかしながら、治療をしていくうえで、存外、この「病名」というのは曲者なのである。

 

 

体、というか、その人をよく見ていけば氣付くことだが、同じ病名をつけられていても、その中身はぜんぜん違う。

 

ひとそれぞれ、生き方が違うのだから、表面的な、頭があって、手足があって…というのは同じでも、中身のバランスはまるで違うのである。

 

だから、目の前の生きている体、その人に応じていく限り、病名、というのは、治療者側にはまるで関係がない。それはこちら側が氣をつけていれば済むことである。

 

もちろん、病名からマニュアル的に方法論が成り立っている体系、例えば、この病気にはこの薬、というのであれば、話は異なる。しかし、このマニュアル方式がうまくいっているのであれば、国家の医療予算がこんなに膨らむこと、世に病院が増えゆくことにはならないように思うのであるが…。マニュアル方式からあぶれた人が多数来られる当庵としては、疑問をもたざるをえない。

 

→つづく






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Last updated  2016.02.25 15:57:55
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