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カテゴリ:生活
前々から控えよう、と試み、されど続いていなかった習慣の改善に、ここ数週間前から成功。
一つはお酒、もう一つは二度寝。もう一つありますが、それは秘密。
お酒は夏から少し増え、夕食の時に飲むと食べ過ぎるわ、眠くなるわで、こりゃいかん、と思いつつ、いただきものにも恵まれて(あかん、言い訳や)、なかなかやめられなかった。 それに二度寝が加わると、時間的に相当もったいないのです。ついでに、二度寝をすると、どうもシャキッとしない、というか、たるんだ感じが否めません。
脱習慣に成功した今、改めて思うのは、出会いがあって、自ら一歩踏み出し、頭を打たないと、自分を変えていく自発的な行動は続かない。この時、出会いから見出される目標が明確かつ壮大かつ困難であるほどよい。
まあ要するに、本気で何かに向かっていくと、ダイナミックに変化していくことがある、という例でした。 (飲まなくとも、理由あって買ったビールがたまっていく稀な光景)
時に、世の中には禁酒や禁煙、禁~という言葉があるのですが、この言葉を使うがゆえに、逆に止められない、ということもあるのではいか、と推測します。
私などはへそ曲がりなので、人に禁じられると、逆にやってしまう。そういうところがある。 それがこうじてか、常識を疑い、とらわれない面もある。しかし、社会的には偏屈、下手をすると変人と見なされる部類です(無用な摩擦を減らすカモフラージュはしているつもりだが)。
話はそれましたが、禁〜という響きには、自ら禁ずる、というより、誰かに禁じられる、受け身なところがあるように思えるのです。受け身になる以上、実際の自分、自分の目的と隔たりがあり、なかなか続かないのが実際でしょう。
私も昔は治療の際、身体が少しでも良くなれば、思い、〜を控えるように、などと言っていましたが、今は少なくなっています。人にはそれぞれ楽しみや目的があって、何をしようが、そこに向かっていければよい、と考えが変わってきたからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.12.17 09:57:18
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