カテゴリ:活字と映像の覚え書き
主人公がほとんど出てこない話なんて、あっていいのかーって展開ながら、ストーリーは確実に進む。主人公のいるリセで青いバラの話題が出たときと共通のキーワードが、子どもの養育施設を舞台に再登場。これって何か関係があるのでは? と疑うか疑わないかのうちに物語は急展開、意外な形でストーリーに絡んできそうだったふたりが、敵に拉致される。
ところで今回の見所のひとつが、あのピアノのシーンじゃなかろうか。 『パト劇2』で私のダイスキな場面がある。戒厳令下の新宿を淡々と、音楽だけ流れる中で描く数十秒。ガード下には戦車が停まり、戦車のそばをサラリーマンが行き交い、花が舞い散る。あの静かな静かなシーンは、開戦前夜の緊張した静けさを綴る場面でもあり、そして最後はお約束の雪が降る。 (革命は雪の日に。これは押井監督のほとんど「記号」ですね。押井監督フィバリットと思われる2・2・6事件も、庭の雪が軍靴で汚れた、という描写がありました) ここでオシイデンシを強調するつもりはなくて、なんかこう、このあたりの世代以降の監督って、この手法が好きだし得意ですよね。で、これって映画では珍しくない映像の使い方だと思うんですが、アニメで、しかもTVで、こういうカットを堂々と入れられるようになったのは、ごく最近のような気がします。従来のTVアニメだったら、ここでピアノを弾くヒロイン(?)をカメラがずっと追っていたはずです。 いやー、たいしたもんだ。これ、おっけーですか。 そして、あの軽薄そうな新聞記者もまた、背負うものがあるという描写。父親が従軍カメラマンだったのかな? 「真実はベトナムにある」という言葉は、たぶん、当時ちょうど多感な時期を過ごしていた世代には相当に響くのではないかと感じるのだけど、それを現代っ子にどう伝えるのかな。説教くさい狂言回しなんだろうと見ていた女の子も、もっと深いところでテーマに接してくるようだし。 いずれにせよ、「戦争はまだ終わっていない」し、「今もこれからも続いている」。それを見切るまなざしや口にしてしまう心の強さは、間違いなくオシイデンシの係累なのだ。 ひー。ちょっと風に当たってこないと、酔いが回りそうですぅ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 11, 2005 06:40:47 AM
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