モー周囲が満身創痍?である年齢な時に>あの話、誰か知りません?
私は、大阪市大正区のどこぞの産院で生まれたらしく・・・・・・・・」とその後、桜ノ宮にあった今どきで言うマンション的な3階建ての奇妙に緑な建物で少し育ち、そのあと生まれて初めて覚えた住所「大阪府、 大阪市、 大淀区、 長良東通り3丁目」で生きていたのである。「ええか、しずかちゃん、道に迷うたらうちは大阪市大淀区、長柄・・・・・・・・」と言うねんで、と教え込まれたので、55歳過ぎてもその住所を覚えてる。今は大淀区はない。あの頃は幸せだった。大阪の下町に真っ赤な三輪車一台。赤いんだから女の子用だったのかもしれないが飛行機の絵が描いてあって私はそれが「飛べる」感じがして気に入っていた。私はそれで大阪城にも走ったし、獅子の彫刻がある天満橋にも走った。3歳までの記憶です。世界一長い?大阪天神橋六丁目商店街を赤い三輪車で走っていた。そんなころ母方の祖父の荒川喜八は3歳くらいの私がうちに行くと話してくれた「お話」がある。私はそれが気に入っていていつも喜八に「おじーちゃん、あの話して。」とお願いしていた。それは「夜泣き蕎麦?うどん?」の話で「むかし、むかし」「奈良の東大寺の大仏さんと金剛力士さんが夜遅くあーーー、お腹減ったなぁあーーー、お腹減ったーーー、と言い合わせておるとよなき蕎麦の屋台が出て「そばー、そばー、うどーーーん、うどーーーん、」と言いよる。それで大仏さんと金剛力士さんが「おおおおお!ちょうどエエわ!」と東大寺を出てな、蕎麦屋に行きはってん。で、大仏さんと金剛力士さんわな、蕎麦屋に行ってよなき蕎麦を食べはってんけど、いよいよ、という時に金がない。それで、逃げはってんけど蕎麦屋の主人も気が付いて「お!食い逃げか!それはアカンやろ!」と大仏さんと金剛力士はんを追っかけて手持ちのお金を投げつけたら、ほら、金剛力士さんは木でできてるやろ?小銭があたったら「くったーくったー」って音がして蕎麦屋のオヤジは「ほうか、お前食ったと認めるねんな」とせやけど、「奈良の大仏さん」はなカネ(金属)でできてるよってし小銭がぶつかったら「くわーん、くわーん(食わん)」という音が響いて蕎麦屋のオヤジは「なんと!食ったくせに食わんというか!!!と大仏さんをボコボコに殴る蹴るしたんや。そやから未だに金剛力士さんは立ってはるけど大仏さんは、そのときボコボコにされたし脚を痛めて座ってはんねんで。。。と。はー、この話、誰そ私以外に聞いたことある人いますぅ?この話のネタ、ってどっかにあるんでしょうか?荒川の祖父が自分で作ったとは思い難いというかそういう人じゃなかった気がするんでどっかに「元ネタ」があるんじゃないかと・・・。わたしゃ小さいころは「はーはー、納得でやから大仏さんは座っておられんねやな」と馬鹿真面目に思ってました(笑)(関西子どもアルある?)しかし、喜八が亡くなって30年以上経つかもしれませんが私は小さいころに祖父がやってくれた「くったーくったー」と「くわーんくわーん」の真似がまだできまする^^じいちゃん、ありがと♥