平安中期以降、朝廷の権勢が弱まると、醸造の技術・人材が
民間に流出を始め、酒造りの中心は大寺院に移っていきました。
僧房酒の始まりです。
「天野酒」は数ある僧房酒の中でも特に高い評価を
得た酒の一つでした。文献にも、「天野之古味尤も妙味」
(相国寺禅僧・陰涼軒真蘂)といった記録も残っています。
天野山金剛寺の酒が「天野酒」として文献に表れるのは、
後花園天皇の実父・伏見宮貞成の日記『看聞御記』の
永享四年(1432)四月二十九日の条が最古のものと
確認されています。
室町末期には全盛を極めた僧房酒ですが、
戦国時代に入り、信長に代表される戦国大名が台頭を始めると、
軍事・経済的にも大きな力を持った大寺院への弾圧が始まります。
結果的にこのことが僧房酒を衰退させることになるのですが、
「天野酒」をはじめとするいくつかの僧房酒はそれらの
戦国大名にも愛飲された記録が残っています。
「天野酒」に関しては京都御所に献上した楠木正成をはじめ
織田信長、徳川家康、小堀遠州など枚挙にいとまがありません。
とりわけ、時の関白太政大臣「豊臣秀吉」は「天野酒」を
愛飲したと言われ、たびたび使者を遣わしては買い求め、
良酒醸造に専念することを命じた朱印状を下付したほどで、
その朱印状は現在も金剛寺宝物館に展示保存されています。
「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」と英傑達に愛された天野酒、
是非、この味をご自身の舌で賞味いただけたらと存じます。
~天野酒onlineより抜粋~