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しょう@河内長野

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110923長崎14

大浦天主堂につづく坂道は、この日も大勢の方々で大賑わいでした。

大浦天主堂は通称だそうで、正式名称を「日本二十六聖殉教者天主堂」。
前回ご紹介しました、1597年に日本で最初に殉教された
日本二十六聖人たちに捧げられたなのだ教会です。

そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。

110923長崎15

1863年に来崎されましたパリ国宣教会のフューレ神父は、
南山手の外国人居留地に隣接した現在地を入手され、
同宣教会プチジャン神父の協力を得て、ジラール、フューレ両神父の
設計図をもとに天主堂建立に着手されました。

天主堂はプチジャン神父の指導で建てられ、1864年12月29日に工事は俊工。
煉瓦造の教会ですが表面は漆喰で白く塗られ、優雅で美しい姿となりました。

1933年に国宝指定されますが、原爆による被害を受け、
1953年、日本最古の教会堂として国宝に再度指定されました。

110923長崎17

後ろ姿も美しいですね。

大浦完成した1月後、当時「フランス寺」と呼ばれていた天主堂には
大勢の見学客が訪れ、その中に浦上の人たちがおられました。

そして聖堂内で祈るプチジャン神父に近づき、
「ワタシノムネ、アナタトオナジ」とささやいて信仰告白し、
「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねられたそうです。
プチジャン神父は驚きと喜びで彼らをマリア像の前に導かれました。

歴史に残るプチジャン神父による信者発見ですね。

110923長崎16

天主堂の入口におられるマリア様には、

慶応元年三月十七日
日本之聖母
信徒発見記念

と記載されています。

こちらのマリア様は、日本に数多くのかくれキリシタンたちがいたという
ニュースが全世界に伝えられた後、フランスからその記念に贈られたそうです。

プチジャン司教はこれを最初、天主堂の門前に据付され、
日本信徒発見の記念祭典を盛大に催しました。

その後、天主堂の改築に伴い、聖堂が2倍の大きさに広げられたときに、
現在の入口正面に据付けられたそうです。


純白のマリア様別れを告げ、グラバー園に向かいます・・・つづく






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Last updated  2011.10.10 10:48:42
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