「スパイダーマン」はジェームズ・キャメロン監督のはずだった。映画化の難しさ、と「スパイダーマン」の思い出。
15日の午前10時です。 一度書いたブログが消えるのはおそらく 10回目ぐらいで。 ええ加減にしとかないかんけど、どうしても 画像とかのことを考えると 直接書いては、消えるんだよなあ。 まさに「自己責任」ってやつで。 とりあえず、気を使わずにもう書きます。 全く白紙の人と、非常にコアなファン(いるとして) しかもう来ない、という前提でやりますので。 「映画化」。 「めっちゃピンぼけ」、の映像化に向けて 確かに今、動いて下さってる方がおられるので、 感謝としか言いようもなく。 「こんなん映像に出来へん」と言われるにしても、 どこかしこで、検討してもらえたという 事実があるのは大きいことだと 思ってます。 で、「映画化」で僕が忘れられないエピソードを。 「スパイダーマン」。なんで今頃、と言わんといて。 明日は、めっちゃ面白がって今読んでいる 「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」(斎藤 貴男=文春文庫) か、 今日見てくる予定のスターウォーズの話にするので。 で、「スパイダーマン」。 アメリカンコミックだったこの作品が、日本に舞台を 変えて、池上遼一さんの手による漫画となったのは1970 年から。翌年の1971年9月号まで「別冊少年マガジン」に 載っていたそうなのですが、「ぼくらマガジン」と 「少年マガジン」のコアな読者だった僕は、そこまで手が 回ってなくて存在を知りませんでした。リアルタイムでは。 1997年。 11月に、ロサンゼルスはビバリーヒルズ近郊のショッ ピングモール内のマクドナルド。入ろうとした僕の目に 止まったのが、ジェームズ・キャメロン監督の新作のポ スターでした。タイトルは「タイタニック」。クリスマス 映画としての公開を謳われてました。 日本のボクシング界から脱出を図ろうとしていた当時、 有名だった重量級ボクサーの今後を取材するのに会った 米国在住女性カメラマン(この方にも不義理したまま) と、話が終わって、10号線でロスのダウンタウンに戻ろう と考えていた時。 「?」って、感じになりましたね。 だって、僕の頭の中では、キャメロンは「スパイダーマン」を 撮ってることになってたから。 1995年。 阪神大震災やら、大きな手術やら、取材担当をしていたプロ 野球オリックスの優勝やら、辰吉君のラスベガスでの復帰やら、 なんやらかんやで、ジェットコースターみたいだった年の 10月終わり。 三宮の今はなき、駸々堂で日本版「スパイダーマン」が復刊 されてるのを発見して。 1970年から1971年のリアルタイムでは、ほんまに横をすり抜ける ようにスルーしてたコミックですが、1976年にサンコミックスに 入った時に出会う形になって。 1976年の夏。 淡路のほんまに小さな本屋さんにも「スパイダーマン」はあって。 当時、出ていた6巻(全7巻)までを買いあさりましたよ。TVで、 モントリオール五輪のコマネチが映ってるそばで、左手から話さずに。 当時の僕にとっては、ジャストフィットした 漫画でした。シリーズ後半の平井和正さん原作に なってから拍車はかかるのですが、その前でも たとえば「疑惑の中のユウ」なんてやつは、主人公の スパイダーマン=小森ユウが、ついにスパイダーマンに ならない、とか、あって。 テーマはおぼろげながらで、普通の高校生を主人公に 添えてたので、青春の彷徨い、とかいうやつだったん だと思う。「おれの行く先はどこだ?」なんてタイトルの 話に、それは現れていて。 いやあ、暗い話ばかりだったよ。 じめじめ、うじうじ、で。どこがヒーローやねん、 ッて感じで。いや、主人公自体、そういうセリフを 吐き続けてましたね。何度もスパイダーマンをやめた、 ってやるし。 その10年ぐらい後に、地元(淡路)の津名高の野球部監督 になる僕の親戚(当時14歳)も、勝手に僕の漫画手にとって 読んでましたが「これすごい毒があるね」と中学生ながら、僕に 言ってきたのを思い出します。考えたら、「別冊少年マガジン」 の購買層は小学生からでしょうから、すごい漫画だったわけで。 (高校生が同級生の女子生徒に暴行する、とかいうシーン何度も 出てきてたし) なんの話だったっけ? あ、「スパイダーマン」を1995年に復刊されてるのを 見つけたっていうやつね。で、その帯を見てまたびっくり とともに嬉しくなって。 「ジェームズ・キャメロン監督のSFX大作、映画化決定」 とあったので。「ターミネーター」と「エイリアン2」で、 僕の中では神格化されてた監督ですからねえ。「トウルー・ライズ」 の?はあったけど、期待しましたよ。胸躍ったもんね。 日本版と違って、アメリカンコミックは湿ってなんかなくて、 爽快だ、って想像はついたけど、キャメロンがやるんだったら ドラマ部でしっかりすると思いましたよ。ほんまに、喜んで。 で、1997年に帰ります。 キャメロンの新作は、なぜか「タイタニック」。 だまされたような気になりましたが、《これが映画にする っていうことだ》と妙に納得もしました。 企画があっても、実現なんかなかなかしない、っていう。 「スパイダーマン」が映画になるのは2002年になってからで、 監督はキャメロンではなく、サム・ライミでした。青春ドラマ としてみても楽しめる出来になっていたのは知ってのとおりで。 評判良く、で2も作られましたもんね。 日本版「スパイダーマン」が映画化されることは、まずない でしょうが、それにしても。ヒーローが、ヒーローらしく振舞う ことがまずなかった漫画として、僕の頭の中から離れることはなく。 映画「スパイダーマン」のおかげで、またこのコミック、 2002年に復刻されてたはずで。地味で、ほとんど知られてなかった 漫画ですが、後年の大物、池上遼一さんの劇画タッチの漫画と 当時としては斬新としかいいようのないストーリーで、僕を魅了 してくれたのがコミック版「スパイダーマン」で。 (下)1995年に復刊された際の日本版「スパイダーマン」(朝日ソノラ マ)の第1巻。帯にあるキャメロンの映画化がいまだに実現していないの は上に書いたとおり。でも、キャメロンの名前が出ただけで、復刊させた 朝日ソノラマって会社もすごい。これが、ビジネスチャンスを逃さない、 の見本だとは思います。