一人だけのための・・・。福原愛ちゃんが出場した卓球の大会を見ながら考えたこと。
6日の午前2時半。 ええ加減に寝んと、起きて からがとんでもないことになるのに。 例の駒大苫小牧高関係の高校野球連盟 の取材が控えていて。 4、5日の二日間。 卓球の取材に行き、友人の送別会に一度出た。 私が志してる部分をまだ残している 小説の世界もそうだが、人に知られたり、 人気があったり、というのが貴重な世界 はやはりあって。 ボクシングは知らんけど、亀田は知ってる。 これだけで亀田は◎で。しかも、兄貴は着実に 実績も積んできてるから、人気に実力が見合う 部分さえある。これで、プロは十分。 で、何を書きたいか、というと。 卓球。 これも亀田と同じく、で。 卓球なんかどうでもええけど、福原愛ちゃんは 知ってる、って世間の人のほとんど じゃないんだろうか? 確かに、窪塚の主演した映画「ピンポン」なんか、 素晴らしい出来で、私は思わず公開された年の 邦画ベストワンにしてしまったけど、だからといって 卓球の人気には結びついてないわけで。 卓球=福原愛。 これが普通の人の頭の中だと思う。 で、高校野球なんかだと、同じような ことがあったら「スターは認めない」とか言い出して、 人気のあるなしに関係なく、措置は平等に なるのですが、愛ちゃんの卓球の場合は 違う。 競技団体も、愛ちゃん以外、気の毒なんだけど 他の選手に日本のマスコミが興味がないのを知っている。 だから。 二日間。 愛ちゃんは6試合戦ったけど、 すべて同じコート。 テレビカメラが添えつけてある 第5コートでしか試合をしなかった。 簡単に言うと、おそらくテレビに映って たのは愛ちゃんばかりじゃなかったんだろうか? 関西では放送がなかったので、関東の方 しか分からないところはあるのだけど。 記者会見も。 アジアカップ、と銘打たれているのに、 優勝者の共同インタビューはなく、 二日ともに会見が用意されたのは 福原愛だけだった。 もちろん、取材する気があれば、共同会見 なんか関係なしで聞きにいけばいいのだから、 目くじらを立てることではない。 ただ、すべての状況が《一人だけのための…》 って感じになっていて。 どうなんだろう。 福原愛は、この状況を幸せに 受け止めてるのか? そういう質問をするには、競技だけでなく、 日ごろからの付き合いがなければ難しい、 と私は思う。 それを気にもせずに聞ける神経。 それも、マスメディアにいる限り 悪いことではない。 でも、20年以上取材に携わって、 そういう微妙な質問を人前で行った ことは、私は一度もない。 デリカシーの問題、というよりも、単に 勇気がなかった。 《一人だけのための…》 やはり、人気商売で考えるとプラスの方が 多いはずだ。注目されることで、スポンサー となっている人、企業も見返りが期待出来る のだから。 しかし、当たり前だがそれは《一人だけ》 なのだ。卓球でいえば、福原愛以外には 許されないし、現状ではありえない。 いかに日本で一番であろうが、関係はない。 どうあがいても、その他大勢の一人にしか 過ぎないのだ。 で、ここで私は当たり前のことに気付く。 私たちの普段の生活でも、多かれ少なかれ、 この法則は当てはまっているはずなのだ。 特別な一人になっていない、その他大勢。 実はそれが、ほとんどすべての世に生きる 人で。 その中の一人としての存在を自覚する時。 あがくべきか、納得して受け入れるべきか? 私などが本当にとるべき道は、 そんなことを考える猶予など 取らず、自分が目指すものがあるなら 何も考えずに…、が出来ないから 私は凡人なのだ。(写真=遠巻きに福原愛の試合を見守るマスコミ関係者。 このテーブルの周りにしか取材者はまずいなかった)