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すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

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2011.11.25
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カテゴリ:韓国・北朝鮮
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紳士・淑女の皆様。こんばんは。
今日も、この拙いブログを訪ねてくださりカムサハムニダ。

さて、あの統一教のブログ村には、なんでも悪魔が徘徊しているようですね。
怖いですね。それにしてもあのジョリュジュ(カタカナ間違ってないよね。間違っていたらごめんなさい。)さんのブログが突如なくなってしまいましたね。
チェックリストに乗せていたのに…

それにしても紳士的な方だったのにね。何か、Chサイドから圧力でもかけられたのだろうか?
残念ですね。少し期待していた部分もあっただけに…

さて、今日は、”創氏改名”について、面白い記事があったので掲載する事にする。
このことに関しては、いろいろ面白くない事もあるだろうけど…
まあ、こういうこともあるよ的な感覚で読んでほしい。

↓↓↓


「逆説の日本史1 古代黎明編」 井沢元彦 1993年 小学館

なぜ韓国人の姓は『金』や『李』のように全部『中国風』なのだろうか?つまり日本の『山本』や『田中』のように、『山の本』や『田んぼの中』といったような、土着の言語を基調にした姓がないのか? 実はあったのだ。
『韓国も昔は今と違って中国式の姓名ではなかったようで、これは中国の記録や日本の記録を見るとわかります』
『どんな名ですか』
『日本に来た技術者はといえば、画部・因斬羅我(えかきべ・いすらが)とか医博士・奈率王有りょう陀(くすし・なりつおうゆうりょうだ)とかいった名前でしたな。また有名な医師に、允恭(いんぎょう)天皇3年(414年)に、天皇の病を癒すために新羅から招聘された金波鎮漢記武(こんぱちんかんきむ)がいます』
『フーム。すると韓国も中国式の朴(パク)さんや金(キム)さんじゃなかったんですか』
(「日本人とは何か」 山本七平 PHP 研究所より)


今では、山本氏が実例として挙げているような名はすべて姿を消し、ほとんどが中国風の一字姓になっている。 どうしてなのか? 合理的に考えれば答えは一つしかない。古代のある時期に、韓国人は伝統の姓をすべて捨てて『中国式』に改めたということだろう。ところが、このことは韓国の歴史書に記録されていない。そこで、私は韓国の知識人や学者に会うたびに、それはいつあったことなのかと質問する。ところが、まともに答えてもらったことがない。それどころか、『そんなことは有り得ない』と (中略)

日本は白村江の戦で、唐・新羅連合軍に破れるのだが、そのとき日本に亡命した百済人の名を見れば、それがわかる。鬼室集斯(きしつしゅうし)、憶礼福留(おくらいふくる)、木素貴子(もくそきし)、各那晋首(かくなしんす)……金さん、鄭さんは一人もいない。



中国式に創氏改名もしていたようだね。

「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社

 李光洙は創氏改名に関しても、「我々在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物」であると指摘している。古代朝鮮人の名は、永郎、述郎、初郎、伊宗、黒歯が多かった。昔の地名も徐羅伐、達久火、斉次巴衣であった。そうした地名や人名を支那風に統一したのはわずか600~700年前のことだと、氏は喝破している。
そもそも600年前には、朝鮮人はまだハングルを創っていなかったので、漢字漢文ばかりを借用したことはやむをえないだろう。だから、伝統的な人名と地名をことごとく絶やして、支那風の人名と地名をそっくり借用し、人名でも地名でも、いったい支那なのか、朝鮮なのかわからなくなってしまうのだ。


次には、モンゴル式に創氏改名もしていたようだ。
もう、忙しい人たちだね。


「韓国へ、怒りと悲しみ」 豊田有恒 1996年 文藝春秋社

 モンゴル人が建てた元朝は、高麗を支配下において、あれこれと干渉してきた。司令官を駐屯させて、王家の世子(世継ぎの王子)を人質として、元に差し出させた。この世子がのちの忠烈王である。忠烈王の帰国にあたって元の世祖フビライは娘と結婚させた。つまり、高麗王は、元の大汗(皇帝)の婿となったわけである。以後、歴代の王は、元の支配のもとに、有名無実となり、その後の王は、蒙古名を名乗ることとなった。忠宣王はイジリブカ、忠肅王はアラトトシリ、忠惠王はプダシリというふうに、改名させられてしまった。また、モンゴル風に、弁髪を強いられ、衣服も蒙古風にさせられたという。
こういう強制は、のちの清朝の時にも行なわれている。韓半島の歴代王朝が、臣属している中国そのものが、異民族に蹂躙されてしまう。そうなると、これまで、中国の王朝の意を迎えるため、すぺてに中国式に徹底してやってきたことが、無に帰してしまうのである。韓民族は、パニックに陥ってしまう。胡服弁髪を強制されることになり、中国に義理立てしてきた価値観が、蒙古なり、満州なり、そして日本なりという、これまで、韓民族が蔑視してきた民族のものに、切り換えられてしまう歴史である。創氏改名は、日本人の専売特許ではなかった。歴史上、何度も、そういう目に遭ってきた民族なのである。



 自分たちの名前に誇りを持つ韓国人は、創氏改名で名前を無理矢理変えさせられたと怒り非難するが…歴史的に見れば、あるときは、シナのよう名前を名乗り、また、あるときは、モンゴル式に変えてみたり、またまた、日本式の名前にしてみたりと…忙しいですね。まあ、生きる為に仕方がなかったのかもしれません。
更に不可解なのは、たかだか100年前の王妃の実名がよく分らないというのである。これは、後日述べる事にする。

まあ、ともかく、知識を蓄えよう!!

そうそう、皆様も街頭に出てる暇はないですよ。勉強しなければ…騙されちゃいますよ。
自分の頭で考え、自分の直観力で決める事が重要だと思いますよ。





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最終更新日  2011.11.25 23:29:29
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