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すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

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カテゴリ:韓国・北朝鮮
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紳士・淑女の皆様
こんばんは。

もう眠いから…おやすみなさいといいたいところだけど…
先ほど、ひとすじ君の記事を読んでいたら…
むむむ…何じゃこりゃ…という部分を発見!!いや、発見というほどでもないが…
どうも腑に落ちない部分がありましたね。


大韓帝国の光武改革=日韓併合前の近代化政策 2011-11-25 00:40:43

この記事なんですけどね。まあ、いろいろウリナラマンセイ記事なんだけど…



ひとすじ君曰く『日本が韓国を植民地支配するときに、それを正当化するためにいろいろな論理がその当時から使われました。』

ここの部分は、植民地ではなく併合ですね。確かに、日本は、この朝鮮を併合してもいいかどうか、欧米の反発はないだろうかとまわりばかり気にしていたようです。しかし、朝鮮人側から、何としても併合してほしいとの申し出あり、併合したはずです。)

ひとすじ君曰く「その当時から今にいたるまで非常によく使われる論理が、朝鮮は悲惨だった、自力では到底、近代化できる能力のない国だった、だから植民地支配していいのだという論理です。」

(まあ、これが、欧米の論理ですね。)

ひとすじ君曰く「自力近代化ができない国は、植民地支配してもよいという論理は正しくないのは、もちろんです。」

(その当時の事を現代の価値観で裁いていますね。)

ひとすじ君曰く【 もしも正しいのならば、中華人民共和国のチベット支配や、ウィグル支配も正当化されてしまいます。】

(論理が飛躍しています。ぴょんと…)

もう面倒くさいので…中途略しちゃう。

もっとも変だなと思う部分は…


ひとすじ君曰く『それで日韓併合すると日本は、増税に次ぐ増税をおこない、さらにそれでも足りない分は、夫役(ぶやく)や賦役(ふえき)と呼ばれる無賃の強制労働を民衆に負担させることまでするのです。』

この部分ですよ。瀕死の朝鮮人に多くの税金をかけたという資料はないと思うよ。
どの資料も、この本土の税金よりも少なかったとの記述ばかりだし…
そもそもきちんと税金が払えるぐらいの状態だったのだろうか?
それに、本土からの持ち出しばかりだったというぐらいだし…

また、戦後、朝鮮が日本から離れてくれたお陰で、経済成長したという話もあるぐらいだから…そのくらい、お金が朝鮮へ流れていたということだよ。

そのことに気づいたアメリカは、フィリピンを独立させたという話もある。


さて、参考までに以下H.P.からコピペしちゃいます。

あとで、h君とk君がこそこそ見に来るだろうから
字は大きくしてあげたわよ。感謝しなさい!!そう、この感謝という言葉も、
和製漢語だからね。日帝の残滓だから…心して使いなさいよ!!


「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社

朝鮮の財政を支えつづけていた日本の補充金と公債

 朝鮮総督府時代の朝鮮半島経営については、今日よくいわれているような「日帝36年」の植民地収奪というよりも、日本人の税金を注ぎ込むことによって、朝鮮半島の財政をずっと支えてきたというのが歴史的事実である。朝鮮総督府は、朝鮮人を圧迫したり、搾取したり、収奪したりというよりも、税金を注ぎ込み、近代国家として育てようと奮い立っていたのである。

 朝鮮総督府財政を支える財源については、朝鮮国内の税金などの取入だけでは足らず、その一部は公債によって支えられていた。その公債の98%は、日本の金融市場からのものであった。朝鮮の公債は、予算上の歳入不足を補填するいわゆる赤字公債ではなく、原則として事業公債に限定され、殖産興業に投資する公債であり、産業資金ともいえる。この公債によって土地、資源の開発、殖産興業が進展した。朝鮮半島は、海外からの借金によって国民経済を支えるという経済構造が、終戦後、半世紀以上たって、OECDに加盟した今日に至っても、ほとんど変わってない。
 明治44年には、借金、公債が国家予算に占める割合は22%であった。昭和5年には、公債の割合が6%まで低下したものの、昭和20には18.4%となった。
(中略)日本政府からの財政補充金には、たとえぱ製鉄奨励金、増炭奨励金などもあり、朝鮮半島はおんぶにだっこを続けていた。各種補充金は、昭和19年までに一般経費の補充金として4億3000万円程度に達していた。それは朝鮮半島が貧しく、自力で開発ができず、外債に頼らざるをえなかったからであるが、今日に至っても、その構造はまったく変わりがないのではないだろうか。
鴨緑江、豆満江の架橋13ヵ所の予算は、じつは満州国から出たのであった。
 
 今日までの「日帝36年」に対する批判は、ほとんど朝鮮総督府が民度・民力の向上に懸命な努力を続けてきた歴史的事実に触れることなく、ひたすら日本人と朝鮮人との物質的な強弱の格差、支配者と被支配者の関係のみを取り上げることを目的としている。それはきわめて歪んでおり、歴史歪曲ともいえる。朝鮮半島は、統監府時代から「保護国」として日本に保護されながら、総督府時代に入りいっそう過保護にされつづけたのであって、財政面のみならず、政治、経済、文化のあらゆる面にわたってそうであった。「日帝36年」とは、植民地搾取という見方とは逆に、日本国民からの"支援"で支えられてきたのだ。併合以来、年に千数百万円から二千万円の一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填されつづけ、財政運営を支えてきた。それは総督府の財政関係担当者が日夜奔走し、機会のあるたびに帝国議会や大蔵省に働きかけた賜物である。その補充金は、ほとんどが朝鮮半島の産業と国土開発、民生安定と福祉向上に注ぎ込まれており、今日のODA援助以上のものである。





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最終更新日  2011.11.29 00:00:11
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