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自給自足の暮らしをする宗教?集団「アーミッシュ」。電気などもほとんど使わない彼らの暮らしや教義について、昔から疑問に思っていたのだが、ようやくこの齢になって少し腑に落ちた。
思えば河野太郎が能登大地震後も「マイナンバーカード」の利便性を半ば強引に叫んでいるのを見たことが(アーミッシュを理解することができた)一因でもある。あの人もたまには役に立つ。反面教師なんだろうな。 キャッシュレスもそうだが、気が付いたら電気を介したネットワークに依存し過ぎている生活に浸っている。地震が起きてみんながまず怯えるのは電気の確保。水や食料よりもスマホの電池の残りをもっとも気にする人の方が多いのではないか。これって、人間が本来生きるために大切にしなきゃいけない優先順位を間違えている気がする。 お金もそうだ。時価総額と言うかりそめの金額で人に自慢したりする投資家を私が嫌うのは、お金に「乗っかって」尊大にふるまう人の卑しさを目の当たりにするからだ。食糧生産者が「お前には食い物はやらん」と言い切れば、お金なんてただの紙切れだ。札束でいくらでも人を叩くことができると思っている人の傲慢さにできるだけ私は触れたくない。 で、だ。数年前から自給自足の比率を増やしたいなと思っている私は、根っこのところでアーミッシュと同じ不安を抱えているのではないかと気づいた。 本来電気がなくてもどうにか生きていけるはずなのに、電気というインフラが必要なネットワーク社会に慣れきってしまうと、それなしでは生活できなくなってしまう。これは人が生きていくための能力を奪ってしまうことにつながる。だから便利な電気を使わない生活をコツコツ続ける。 古代文明はいまの現代より発達していた!と『ムー』的な考えを前提にすると、アーミッシュの教義は理解できなくもない、というわけである。 いまの世界経済はバブルの最終局面にいる感覚が私の中にある。もしそれが正しいのならば、はじけたときにどうやって生活するか。お金が紙くずになるのなら自分で食べ物を作る、自然災害が起きて電気が使えず、クレジットカードやメールやLNEが使えないときに、どうやって人と連絡を取るかの手段を作って仲間と決めておく。お金がなくても当座の代替として少しの金貨を持っておく。こういう最小限の予防線というか、サバイバル術を身につけておきたいなと、つくづく思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月28日 14時39分19秒
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