カテゴリ:発達障害者の家庭問題
本当はもっと早くこの問題は取り上げたいと思っていました。 最近「こどもの虐待、致死事件」など痛ましい報道が続いています。 この問題に対して、マスコミの報道、世間の意見は「加害者となった親」を非人間的と一方的に責め立てるだけに終始する様に感じます。 私自身も、「養育者に恵まれなかったこどもの境遇」に深く同情し、許せない思いで心を痛めます。 「最愛のこどもに、どうしてそんなひどいことが出来るのか?」 と理解出来ず、加害者へのもっと重度な厳罰を個人的には望むこともあります。 しかし他人ごととは言い切れないと自覚しています。 「『中古』育児と療育のための家族臨床心理学家族臨床心理学」という本に、ギクリとさせられる一節がありました。 「仲良く過ごす両親とこども」という一枚のスナップ写真、、、 「その瞬間だけを切り取った一場面」 この表現のリアルさは、 「まぼろしの様に消えてしまったこどもとの生活」
私にとって「家庭」とは、思春期の頃から求めているテーマでした。 父子家庭で育った私には、当時まともな「家庭観」は持ちえませんでしたが、育っている家庭がどこか足りていないことは理解出来ました。
忙しく話もまともに出来なかった父、
相談をしても気持ちが汲み取って貰えない父 自分はその様にはならず、 「家庭を振り返り、こどもの気持ちを理解してあげられる父親」 になることを目指して、思春期を過ごしました。 しかし、それでも失敗をしてしまったのです。結局家庭を維持出来ずに、 最愛のこどもに私と同じ深い傷をつくってしまったのです。
「発達障害と児童虐待問題」 「DSM-5対応ー神経発達障害のすべて」という書籍の中で、「発達障害者と児童虐待問題」について取り上げられていました。 「児童虐待」というと語弊が含まれると思います。もちろん、私も「児童虐待」を意図的にした覚えはありません。 その先生も「児童虐待家庭」という言葉には親に対する非難が含まれてるので「子育て困難家庭」と表現した方がいいと断られておられました。 その様に主張されると共に、発達障害を持つ人は 親自身の社会性の問題、衝動コントロールの問題、機能不全家庭の連鎖などから、客観的に見ると「児童虐待」に繋がりやすいと書かれていました。
もちろん、緊急時の介入ではこどもの命を保護するのが一番に優先されますが、引き離したことによる親のダメージ、その後のフォローについては、十分に考えられていないと思います。 これは、他のすべての「虐待法」「DV保護法」において現段階では不十分であり、行政の対応によっては傷を深めている場合も少なくないと感じます。
また人生の節目に「変化に対応する柔軟さ」にも欠けていました。 ライフステージごとに変化・成長する必要性 恋人関係から共同生活への変化、 共同生活が破綻しないようにマネジメントしていくこと、 こどもが出来て役割が変わること、 産前の苦労を分かち合い乗り越える過程の重要性、
発達障害者は、残念ながら家庭観が歪んでいる事は少なくありません。
「~そして再学習が可能である」
しかし「機能不全家族」であることを自覚し努力をする中で、その連鎖を止めていくことは可能なのです。 私は後に再婚しましたが、まだ「機能不全」の中にいると実感します。 しかし、深い反省と学習、妻との協力のもとで、
以前より「こどもが育てられる様に変えられた家庭」を実感しています。 その内容については、またいずれかの機会にお伝えさせて頂きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.04.20 08:04:04
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