人間の心理とことば
先日は、御朱印帳についてのコメント、ありがとうございました。 やっぱり神仏、分けてて良かったと思いました。知らずにいることも多いです。ブログはほんと学びの場にもなりますね。教わる気持ちがあっても、言葉の選び方で相手に伝わることも変わって来ます。ほんと難しいなって思います。日光山「輪王寺」で、いただいた「神社さんの御朱印の隣りでよろしいですか」の言葉の裏には、神仏分けるものなのですよ と いう気持ちが隠されていたのかも知れません。 ちょっとくどいお話しかも知れませんそれはちょっと、という方、スルー願います。実は、葬祭センターにてこんなお話しを聞いたことがあります。ご遺体を安置したまま、家に帰って寝てもいいかと聞いて来るご親族の方がいる、と…「帰ってもいいですか…」これは、帰りたい、と言っているようなもの。そのような方にダメとは言えない、と…体調が悪いとか、ご年配の方など仕方のない理由で帰られる方もいるので、「そのような方もおられますよ」と答えられるそうですが、「帰ってもいいですか…」と聞いて来る方は、どこかに後ろめたさもあるのでしょうね、残念なことに、そのような方は、誰かに聞かれると「帰ってもいいと言われたから帰った」と、答えられるのだそうです。「帰るべきではないんでしょうね…」と、言葉を変えて尋ねれば、返って来る言葉は違うと思うのです。それ以前に、帰るべきではないと思っている方は聞くこともないでしょうし、1人にしたくない、ついていてあげたい、そう思うものだと思います。きっと御朱印帳にしても、そうなのかも知れませんね。「神仏一緒でもいいですか…」これは、分けずに1冊にまとめたいという気持ちの表れ、だとしたら、そのような方にはダメとは言えない、言わない、かな。けれど、「神仏分けた方がいいですよね…」「分けるべきですよね」そう聞かれれば、「そうですね」とか「分けていただきたい」って、答えるような気がします。本来どうすべきかを本当に知りたければ、言葉を選ばなければならないのだと思いました。そうでなければ、正しい答えを導き、知ることはできない、聞き方次第では誘導しているだけになってしまう。残念ながらそれは、質問ではなく自分の考えに同意を求めているだけなのではないでしょうか。怖いのは、その同意を求めた形で返って来た答えを、他人に伝えてしまうこと。こんな風にして、塗り替えられてしまっている常識っていっぱいあるんだろうなと 思ったのでありました。違うことは「違う」と言ってくださる方は、私にとってありがたい存在です。こんなことを書いていながら、今の気持ちがどのように伝わるか微妙な文面ではありますが(笑) にほんブログ村 応援いつもありがとうございます。