テーマ:原発を考える(30)
カテゴリ:原発
原田芳雄が他界した。 僕の青春に欠かせない役者であった。 『八月の濡れた砂(1971)』『赤い鳥逃げた?(1973)』『龍馬暗殺(1974)』『祭の準備(1975)』……彼の出演した数々の名作が、多感な時期の僕を魅了した。 子どもでも大人でもない、揺らぎの時期に、原田芳雄は常に憧憬すべき兄貴であった。 彼の演じる役は、必ずしも尊敬される人物ではない。 むしろ、世の中を睥睨する、アウトローの存在が多かった。 そこに憧れてしまった。 そして、社会の路線から外れてしまったわけだが、悔やんではいない。 ものごとを斜から見ることで、一見正しそうでも、実はインチキな建前社会を知ることが出来た。 善人が悪人で、悪人が善人なのは、それぞれに理由があり、それぞれに本音がある。 正論を振りかざしても、人の心には響かない。 表と裏があって人間なのだ。
今回の画像は、時節柄、『原子力戦争』。 原発問題をすべての事柄に関連付けるつもりはないが、原田芳雄を掘っても登場する原発は、30年前から脈々と続いていた問題であったことを改めて思い知らされる。 映画のあらすじを知りたい方はこちら http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18811/story.html 映画の出来は、圧力により、消化不良のものになってしまった。 しかし、映像の中の、佐藤慶(昨年死去)扮する新聞記者の台詞にドキリとする。 「これまでの動きから、間違いなく、原発に重大な事故がおきたんだと思われます…たとえば冷却水がもれて、炉内が空焚き状態になるとか、燃料棒が欠損するとかして、…なにか…チャイナアクシデントにつながるような―」 30年前でも、原子力発電が、どうなるとどれだけ危険なのかはわかっていた。 そして、いったん事故が起きると、取り返しのつかなくなる被害が生じることも。 「わかっちゃいるけど~やめられない♪(スーダラ節)」ではすまない。 チャイナアクシデントというのは映画『チャイナシンドローム(1979)』が出る前の言い方らしい。 原発がメルトダウン(炉心溶融)事故を起こすと、地球の反対まで融けて突き抜けてしまうというたとえ。 同時期にアメリカで制作された、反原発映画『チャイナシンドローム』についてはこちら。 http://movie.goo.ne.jp/movies/p5825/ この日米の問題作公開のあと、「スリーマイル島事故」が起こる。 アメリカはこの事故により、あらたな原発を造ることを止めた。 考え方によっては、そのぶん日本に造らせたと言ってもいい。 原発は、国策であったが、それはアメリカ主導だった。 『原子力戦争』の原作者、田原総一郎は、「朝まで生テレビ」でお馴染みとなったが、これを書いた頃は、東京12チャンネルのディレクターであったが、内容が大手広告会社の逆鱗にふれ、辞職に追い込まれることになる。 田原にとってはステップアップのきっかけともなるのだが、これを機に原発をただ批判することの危険性を体で覚えた。 彼はバランスを重視するキャスターに変身することによって、世を渡る術を身につけた。 監督の黒木和夫は、これを含め8本の作品で原田芳雄を起用している盟友である。 日本映画を背負う巨匠と目されながら、本作品以来不遇が続き、ようやく復活した矢先2006年他界した。 黒木和雄監督『龍馬暗殺』で龍馬(原田)と一緒に暗殺された中岡慎太郎を演じたのが、葬儀の弔辞を読んでいた石橋蓮司であった。 話はどんどん逸れてしまったが、最後にyoutubuを見ていたら、原田芳雄のカッコいい映像があったので載せておく。 松田勇作が、原田芳雄の演技スタイルをコピーしていたのは有名だが、シンガーでも真似ていたミュージシャンがいるような気がする。
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最終更新日
2015年03月10日 16時20分18秒
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