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翔建築設計の所長日記

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yoshiki@ Re:●建築家のお仕事(634)竹内日祥上人の講演(01/21) はじめまして私も2000年から竹内日祥上人…
2006.02.11
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カテゴリ:歴史
シーボルト日記

 長崎出島商館の医師シーボルトは、1829年日本地図を海外へ持ちだそ
うとした罪で国外追放になった。

ここまでは誰でも知っている歴史。

 しかし、シーボルトが30年後の1859年(安政6年)に、追放解除となって再び来日した事実はあまり知られていない。
この本は、再来日時の見聞日記で初めて邦訳されたもの。

初来日時は6年間で、再来日時は3年弱。よほど日本が好きだったんだね。

再来日時は、鎖国から開国への大激動な幕末日本。日記にも緊迫した雰囲気
がただよう。滞在の後半では、幕府の外交顧問として遺欧使節の相談にあずかるなど、外交面での重要な記事がある。

一方、自然や生活に関する記事も多い。
たとえば、「江戸は本当にカラスの町である」神社森に数千羽生息し、「早
朝江戸八百八町に分散し、食物をあさり」
今の東京と変わりない。

 江戸では、人通りの多い場所に小さな「無人販売」の箱が置かれ、小間物
や楊子などが値段つきで売られている。客は好きなものを手に取り、お金を足元の小さな引き出しの中に入れる。シーボルトは驚嘆する。

「世界でもっとも人口の多い都市の一つがこうである!この商売は貧しい家
族、貧しい人々を支えるために、すべての町人たちとの信頼により成り立っ
ている。」

江戸の町にこれだけのモラルがあったんだから、日本人のモラル(倫理観)
はかなり高かったんだろう。この点は現代も、江戸の教育を見習うべきだね~。

当社のhpも見てね


2005-09-07 12:00:17

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Last updated  2006.02.11 17:12:45
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