テーマ:今日の出来事(289263)
カテゴリ:歴史
![]() 長崎出島商館の医師シーボルトは、1829年日本地図を海外へ持ちだそ うとした罪で国外追放になった。 ここまでは誰でも知っている歴史。 しかし、シーボルトが30年後の1859年(安政6年)に、追放解除となって再び来日した事実はあまり知られていない。 この本は、再来日時の見聞日記で初めて邦訳されたもの。 初来日時は6年間で、再来日時は3年弱。よほど日本が好きだったんだね。 再来日時は、鎖国から開国への大激動な幕末日本。日記にも緊迫した雰囲気 がただよう。滞在の後半では、幕府の外交顧問として遺欧使節の相談にあずかるなど、外交面での重要な記事がある。 一方、自然や生活に関する記事も多い。 たとえば、「江戸は本当にカラスの町である」神社森に数千羽生息し、「早 朝江戸八百八町に分散し、食物をあさり」 今の東京と変わりない。 江戸では、人通りの多い場所に小さな「無人販売」の箱が置かれ、小間物 や楊子などが値段つきで売られている。客は好きなものを手に取り、お金を足元の小さな引き出しの中に入れる。シーボルトは驚嘆する。 「世界でもっとも人口の多い都市の一つがこうである!この商売は貧しい家 族、貧しい人々を支えるために、すべての町人たちとの信頼により成り立っ ている。」 江戸の町にこれだけのモラルがあったんだから、日本人のモラル(倫理観) はかなり高かったんだろう。この点は現代も、江戸の教育を見習うべきだね~。 当社のhpも見てね ![]() ←ポチッと押してご協力お願いします。元気の源です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.11 17:12:45
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