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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2007年05月02日
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サンケイ・エクスプレスという新聞を読んでいる。

私に、CMでのキムタクのような効果が出ていないことは言うまでもない。



2007.05.01の22面には、季節風というコラムがあり、舞鶴支局の記者氏が文章を綴っていたので、以下に私の主観において、抜粋・引用する。興味がある人は原典に当たって欲しい。

(略)先日も取材を通じて行政に強い怒りを覚え、批判するコラムを書いた。(略)「記者としてこの不正を放置することはできない」(略)


コラムでは、怒りに任せて書いた記事が、支局長から、「気持ちは分かるがトーンがきつすぎる」といわれてボツにされたことが明らかにされていた。



支局長は、当該記事が紙面に露出することによって生じる行政機関との摩擦を予想してボツにしたのだろうか。
もしくは、記者の主観があまりに文章に露出していることを稚拙と感じたのだろうか…。

コラムを書いた記者は、文章修行が足りぬということを反省しているようだが、一読者である私が感じるのは、「記者としてこの不正を放置することはできない」という自己肯定感の強さである。

*

自己肯定感といったが、それはほとんど正義と等価ではあるのだろうが、その正義が主観的であることは否定できない。

佐々木俊尚氏は、「絶対的正義」などという語を操るが、そのレトリックそのものが、正義という語の脆弱さを印象的に物語っている。

私には絶対的正義などイメージできない。
絶対的正義など、生きる者が最終解脱者を名乗るようなものである。

*

「記者として…」

そのような特権が、誰でもネットで言論が発信できる時代に、果たして成立しているのだろうか…。

民主主義の世の中では、一人の個は、一人の個の限りにおいて発言することのみ許される。

代議制によって選ばれた個なら、他者の思いを語ることも許される。
だが、一企業の従業員でしかない記者が、他者の思いを語る・騙ることに合理性・論拠はない。

一人の個として何物かを語ることは許されるが、それを「記者として…」などと、自らを拡大するならば、傲慢である。

*

だが、本当のところの問題は、社会のひとつの様相である行政を自分と無関係なものであると認識して、批判するという無責任である。

さまざまな問題を孕みつつも、日本の社会が民主主義で営まれていることは事実だろう。

民主主義における行政機関は、選挙によって選ばれた代議員によって監査・運営されている。

ならば、すべての国民は、民主主義の名において、行政機関の腐敗と無縁ではない。

とすれば、その腐敗には、腐敗する理由があり、その理由を突き詰めることこそ、問題解決への途であって、一刀両断に批判・切り捨てることは、問題解決・再発予防にはまったく役立たない。

そのようなことを考えれば、当該記者の「記者として…」などというのは、まさに感情的なものであって、それが記事として社会に提示されたとしても、彼を満足させるだけであって、その結果起きることは、事実の隠蔽・トカゲの尻尾きりのような不毛な対応でしかないだろう。



イベントの打ち合わせで、新聞人の方に、「新聞記者は、最終的には、言論人になりたいんでしょう?」と尋ねたことがある。

何故、そのようなことを聞いたかといえば、ライブドアがつくったネット市民新聞が、パブリックジャーナリストという名称を市民記者に与えているのに対して、アメリカでネット市民新聞を提唱するダン・ギルモアは、市民記者をCitizen Reporterとしているからだ。

私の語感では、レポーターというと報告者・伝達者という感じ。ジャーナリストというのは告発者・糾弾者という感じ…。

そんなことを考えていたら、A社社員の彼は、「私はレポーターでありたい」と仰る。

彼は、新聞は政治欄ばかりではないと補足するが、揺ぎ無い彼の言葉を聞いて、私は納得するとともに、少し安心した。

記者が言論を発生させるにしても、レポートした結果、自然に発生するのである。

言論を発生させるために、レポート対象を選択して、記事を拵えることは、タブーである。

新聞の現実にそのようなことが起きているとしても、それは、新聞の中の忌まわしき部分であり、それを新聞界全体が許容しているのではない。


5月25日の新たなる新聞人の方々との出会いに期待している。


07sponta





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Last updated  2007年05月02日 09時48分46秒
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