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テーマ:☆詩を書きましょう☆(8532)
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あなたを求めてくる人は あなたの その やさしいまなざしや ほほえんだくちもとに ほっとしたくて 光をもとめる 旅人のように ぼんやりした視界の中で あかべこのようにゆれている あごの先や おうさまの耳はロバの耳 と ささやきたくなるような ふたつの耳のあな に気づくとき ももの上においた にぎりこぶしをゆるめるのでしょう そして カップの中の 煎じものを 飲み終える頃には あなたのぬくもりと こころのぬくもりで また あるきだせるのでしょう あなたそのものが 峠の一里塚に置かれた 癒し石 あなたこそが 千の手の癒し人 ‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘ 若い頃、中国を旅したときに 都市から村へ入る要所要所に憲兵がいました とくに政治的な関心や日中の国交の様子など関心も無く 無頓着にしておりましたので 観光地から少し道を外れると「日本人だ、日本人だ」と時折耳に入る言葉も 私の子ども時代に外国の方を見かけると 「ガイジンガイジン」というような感覚かなと思っていました ところがホームステイ先でテレビを見ていると 盧溝橋事件が起きた日ということで特番を放映していました (このためだったのか・・・)と 日中の人々の視線や一言二言のニュアンスを感じ取り 「洋服で日本人だとわかるのよ。」と話していた友人が それ以上を伝えなかった気配りに感謝するとともに 祖父の世代のこととはいえ、大変申し訳ないことをしたと 謝罪したのでした 実際に、私の祖父は事件の部隊の末端の歩兵だったのです 子供の頃、祖父から聞いた戦中の様子はこのようなものでした 部隊が襲撃されすぐ横に伏せていた仲間が次々と流れ弾に合い戦死し、 向こうの船隊が立ち去るまで遺体の間で伏せていた 上官の命令は絶対で逆らえば下士官が殺される 戦地では皆神経がおかしくなっていたとしか思えない 年に一度しか会うことの無い祖父の話を 毎回涙で最後まで聞けず、何回かに分けて聞きました その都度、淡々と謝罪と後悔の思いを交えながら 孫の私達に人間として何が一番大事なのだろうかと 考えることを引き出してくれました 友人にそれを伝えると 「過去、中国で大変ひどいことがおこったけれども 今こうして生きている私達が仲良くしていくことが 大切だと思う。 偶然にも(仕事の関係で)日本で出会って友達になれた 私達は自由に海外に出ることはできないし 日本人はクールと聞いていたから もう会えないかもしれないと思っていたけれど こうしてまた会えたでしょう? この奇蹟を大事にしていくことが平和の一歩だと思うの。」 遠い国での出逢いも、ご近所の出会いも 誠意さえ失わなければより広く深くつながっていけます ・・・・で・・・・ 書きたかったのは、中国のある村にある癒しの石の話だったのですが たどりつけなんだ(爆) どうして戦争の話になってしまったんだろう・・・・ (う~ん ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.20 00:45:41
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