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片野 道郎

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2006.04.16
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この週末のイタリアはパスクア(復活祭=キリスト教ではクリスマスの次に重要な祝日)の連休で、完全な行楽モード。しかしカルチョの世界は、キリストの受難を偲ぶべき聖金曜日にミラノダービーが行われ、さらに連休明けの火曜日にはミラン対バルセロナという「欧州ナンバー1決定戦」が控えているとあって、そうそうのんびりもしていられません。

金曜日のダービーは、ご存じの通りミランが1-0で勝利を収めました。内容的には互角といっていい試合でしたが、双方ともに決め手を欠いたややダウナーな感じの展開ではありました。
それはさておき、ダービーというのは、ピッチ上の戦いだけでなく、両クルヴァ(ゴール裏)の応援合戦も大きな見物です。ゴール裏をし切るウルトラスたちは、この1試合、しかも選手入場時のたった数分間だけのために、クルヴァ全体を使った大がかりな演出を、数十万円の予算と何ヶ月もの時間をかけて準備します。彼らにとってはこれもまた、都市の盟主の座とプライドを賭けた戦いなのです。

ところが今回のダービー、この「もうひとつの戦い」は、残念なことにまったく盛り上がらないものになってしまいました。というのも、チャンピオンズリーグでの不甲斐ない敗退を見せられて頭に血が上ったインテルのウルトラスが、チーム(とクラブ首脳)に抗議するために、このダービーをボイコットしたからです。一種のストライキですね。
ご覧の通り↑、試合開始15分前になっても、クルヴァ・ノルド(北ゴール裏=インテル側)はほぼ空っぽ。張り出された手書きの横断幕には、「俺たちはここにいない。お前たちがそこにいたことは一度もないからだ」「負けるのは許せるが戦わずして負けることは許せない」といった、ヴィジャレアル戦での腰が抜けたような戦いぶりに抗議する文句が書き連ねられています。

一方、ピッチを隔てた反対側のクルヴァ・スッド(南ゴール裏=ミラン側)は、ばっちり仕込んだ演出を繰り出そうと意欲満々。開始5分前になり選手入場が近づくと、クルヴァを埋めたウルトラスが動き始めます。

derby3

上の方の横断幕には「1908年からこっち、お前らこそが真の喜劇commediaだ」と書いてあります。ちなみに1908年はインテルの創立年。

derby4

すると今度は巨大なフラッグが出現し、するするとクルヴァ全体を覆って行きます。右側の顔は、イタリア文学の始祖ともいうべきダンテ・アリギエーリ。日本でも学校の世界史で必ず習う「ダンテの神曲」のあのダンテです。イタリアでは(つか世界中どこでもそうなんでしょうが、ダンテといえばこの横顔、と決まっています。

derby5

そして完成したのがこれ↑。「神曲」は、イタリア語だとDivina Commedia(直訳すると神の喜劇)というタイトルになるので、それに引っかけてるわけですね。左のフラッグに描かれたテキストも、ご丁寧にその「神曲」の文体をもじって、「勝てないインテル」をからかったもの。それ風に訳してみるとこんな感じでしょうか。

「一度なりとも優勝杯を手にせんその時まで/青と黒の衣に身を包みしこれなる哀れな者ども/嘲笑と失望の虜となり続くるより他になし」

もちろんというか何というか、インテリスタをからかうときの定番コール「Non vincete mai!!(お前ら一生勝てねーよ)」の伴奏つきです。このパフォーマンスの観客たるべきクルヴァ・ノルドは空っぽだったわけですが……。ミラニスタのメッセージに対するインテリスタからの唯一のお返事はこれ(画面中央・肌色の物体)でした。よく見えませんが玉は2個ついてます。

derby6

日本のスタジアムは、ゴール裏のサポーターが相手チーム(やクラブ)を揶揄するようなコールをしたり横断幕を掲出したりしただけでクラブ側やJリーグが血相を変えるくらい、清く正しく美しい(そしてちょっとナイーヴな)フェアプレー精神が浸透しているわけですが、イタリアのスタジアムでは、それに照らしてみれば許し難いとしか言いようがない、品格に欠ける世界が日々展開されています。
相手をからかったり貶したりすることに傾けられる情熱といったら、味方を応援するのと同じかそれ以上。試合中に飛び交っているコールも、まあ半分以上は相手サポを侮辱する聞くに耐えない内容だったりします。

でも、以前もどこかに書いたことですが、こういうビッグマッチでのゴール裏パフォーマンス、あるいは普段の試合でのコールや横断幕を通じた彼らのやりとりを見ていると、確かに品格とフェアプレー精神に欠けること甚だしい一方で、「からかい」と「侮辱」を分けるギリギリのところで知恵と(ブラック)ユーモアを競い合っているところがあって、顔をしかめたくなるというよりは、思わずにやっとさせられてしまうことが多いのも事実。
逆に、この程度の微笑ましい茶化しやからかいすらも許されず、スタジアムでお祭り気分を楽しんでいる時にまで、清く正しい模範的な優等生として振る舞うことを強いられるとは何と窮屈なことか、お気の毒様、という気持ちを、日本のゴール裏の皆さんに対して抱いてしまうことも、また事実だったりします。

まあ、日本とイタリア、どっちも極端に過ぎるというのは確か。規制を受けたりしなくても、その間の微妙なところで自然とバランスを取って収まるべきところに収まるというのが、本当に成熟したサポーター文化のありようなのだろうと思います。実際に体験したことはほとんどありませんが、TVで見ている限り、フーリガンを排除した後のイングランドのスタジアムは、その点でけっこういい感じに見えます。実際はどうなのかな。□





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Last updated  2006.04.17 00:36:49



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