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片野 道郎

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2006.07.09
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 決勝まであと5時間足らず。シビレるなあ。おそらく非常に力が拮抗した、均衡と膠着の間を行ったり来たりするような試合になるのでしょう。

 さて、イタリアの守備が堅いという話題になると、常套句のように使われる「カテナチオ」という言葉ですが、これは二重の意味で正しくありません。

 まず表記。イタリア語の発音に忠実にカタカナで書くとすれば「カテナッチョ」であるべきです。「カテナチオ」というのは、イタリア語によく出てくる吃音がちゃんと発音できない英語圏の人々の訛りに過ぎません。ピッツァをピザと言うのと一緒。ピッツァみたいに世界的なポピュラーフードになってしまったものは構いませんが、カテナッチョはイタリアの伝統文化ですからね。本来の発音に近い表記で通していただきたいところです。つまんないことにこだわってんじゃねーよ、と言われると返す言葉もないんですが、そういうつまんないこだわりというのは、人生に潤いを与えてくれるものなので、ひとつここで「カテナチオ撲滅運動」(あるいは「カテナッチョ普及運動」)を旗揚げしたいと思います。

 もうひとつは、もっと本質的な観点からの誤り。カテナッチョというのは、守備の堅さを指す言葉ではありません。1950年代末から80年代初頭にかけて、イタリアで広く普及していた戦術というか、戦い方を指す言葉です。端的に言えば、喜んで試合の主導権を相手に差し出して自陣に引きこもり、ガチガチに守備を固めて引き分けを狙い、あわよくばカウンターを一発決め、最後はひたすら守り倒して逃げ切る。まあ、ケチくさくて嫌味ったらしくて狡猾なサッカー、といえないこともありませんが、それはあまりに一面的な見方に過ぎないことも事実です。

 サッカーの目的は、ボールを支配することでなくゴールを決めること。ボールなんて相手に支配させておけばいい。そうするうちに、いい気になって攻め上がってきた相手の背後には、広大なスペースが生まれるだろう。そうなったらこっちのもの。ボールを奪うや否や、そのスペースを誰にも邪魔されず一気に突っ切ることが、ゴールに迫る最も合理的でシンプルな方法だ。そもそも、守りを固めるのがいけないなんて誰が決めたんだ??

 そう。自陣に引きこもって戦うのは、単に失点しないことが目的ではありません。これは、サッカーというゲームの目的である「ゴール」を最も効率的に実現するために画策された、きわめて科学的かつ高度な「戦術的退却」なのです。つまり、カテナッチョとは、単なる守備固めなどではなく、実はコペルニクス的転換を秘めた画期的な攻撃の戦術だったというわけ。

 そうはいっても今の時代、そんな「古き良きカテナッチョ」は、もはや弱小チームの常套戦術以上のものではあり得えません。逆に言えば、セリエAでもレーガ・エスパニョーラでもプレミアリーグでも、どこでだって下位チームの大半はこういう戦いをせざるを得ないし、強豪チームでこれをやってるところはまず皆無。

 今のイタリア代表の戦い方だって、カテナッチョとは似ても似つかぬものです。カテナッチョにおける攻守のバランスが20:80だとすれば、このワールドカップでのアズーリは50:50。攻撃に人数をかけて前がかりになりすぎカウンターの餌食になるというリスクを注意深く避けながら、勝負どころを見極めて鋭く攻撃し、守備に回れば高度な組織的連携と圧倒的な1対1の強さ(カンナヴァーロ!)で、相手につけ入る隙を与えない。攻撃的でもなければ守備的でもない、攻守のバランスを最大限に追求したサッカーです。
 まあ、R16のオーストラリア戦みたいに、1人少なくなってしまったりすると、DNAに刻み込まれたカテナッチョの魂が顔を出したりもするわけですが、それはそれ。チーム本来の戦い方とは異なります。

 実を言えば、バランス追求という基本的な戦術コンセプトはフランスもまったく同じ。今日の決勝にしても、最後の最後に勝利を掴むためには、リードを守り切ることが絶対に必要なわけですから、勝っている方のチームは、どうしたって守りを固めて逃げ切りを図ることになります。それはイタリアでもフランスでも同じこと。それを、イタリアの時ばかり「伝統のカテナチオで守り切った」とか、紋切り型の陳腐な常套句として使うのはそろそろ止めにしませんか、と言いたいだけなんですが。
 お願いですからせめて「カテナッチョ」と言ってください。■





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Last updated  2006.07.09 22:28:38



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