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テーマ:暮らしを楽しむ(388216)
カテゴリ:カトリック
第一朗読イザヤ 2・1−5
イザヤの預言 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。 国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。 「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。 主はわたしたちに道を示される。 わたしたちはその道を歩もう」と。 主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。 第二朗読ローマ 13・11−14a 使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。 福音朗読マタイ 24・37−44 マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です 神父燦燦 カトリック司祭58人に聴く/カトリック新聞社【2500円以上送料無料】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.27 10:13:39
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