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天神地下街から、西鉄福岡駅近くの「新天町」へ。
1946年10月、博多商人が戦後の復興のために創業された新天町。 昨年は、70周年を迎えました。 明治39年創業の「しばた洋傘店」社長から、新天町について説明を受けました。 新天町の通路は、「博多織」の模様がベースだそうです。 出入口上部に、博多色あふれる大きな絵が飾られてました。 地元への愛情や温かさを感じました。 まずは、新天町郵便局のある階段を上り、「新天町倶楽部(社員食堂)」へ。 (ちなみに、商店街の名前がついた郵便局は、ここだけなのだそうです) 一般の人も利用できる食堂で、私も何度か利用したことがあります。 たくさん並んでる料理は、サンプルではなくすべて「本物」でした。 この食堂には、「岡本太郎氏」の作品が飾られてます。 1981年の創業35周年記念で、新天町に「岡本太郎氏」が新天町に訪問。 その日描く予定でしたができず、後日送られてきた絵だそうです。 次に、昭和29年創業の「釜飯ビクトリア」の前へ。 1日10食限定の「焼き鳥めし」は、すでに完売でした。 すぐ近くの、創業62周年の「おそばの飛うめ」の前へ。 潜水艦に乗務されていた店主が、潜水艦内部をイメージして店内を作ったそうです。 それから、時計塔の前へ。 時刻ごとになるチャイムは、現在はクリスマスバージョン。 ピエロの名前は、「どん太くん」(2代目ピエロ) 1代目のピエロは、あまりにリアルで、「怖い」と不評だったそうです。 雪を降らせて、クリスマスムードを高める工夫も。 「みんなを喜ばせよう」という気持ちが、表れてますね~ それから、60年以上の歴史をもつ「時計・宝石のハナブサ」へ。 店の奥の階段で二階へ上がると、そこは「和時計博物館」! すべて、ご自分で集められたそうです。 社長さんから、和時計のくわしい説明を受けました。 江戸時代の時刻は、日の出と日の入りを基準にする「不定期法」でした。 手の甲の血管が「ボヤ~」と見えるころから、見えにくくなる間を「明け六つ(昼)」 それから翌日の「ボヤ~」と見えるころまでを、「暮れ六つ(夜)」 そして、それぞれを六等分して、一刻(いっとき)としたそうです。 なので、もちろん季節により違ってきます。 「究極のサマータイム」だったんですね~ 時刻の呼び方は、十二支と数が使われました。 数は、九から四まで下がり、また九に戻ります。 和時計は、分銅がついた棒天符が左右に動くことで、時計の動く速さを調節してました。 棒天符は、初期のものは1本「一挺天符」でした。 その後、明け六つ・暮れ六つで自動的に切り替わる、「二挺天符」が作られました。 重りがひもでぶら下がっていて、毎日調節していたそうです。 「覚えるまで、難しいのでは?」の質問に、「マニュアルがありました。」 「誰でも使えるように」という想いで、マニュアルを作ったのでしょうね~ 作動させて、音も聞かせていただきました。 そして、お土産に「花びらの石鹸」をいただきました。 初めて参加した、 Love 天神協議会主催の「天神まち歩き」。 思った以上に楽しく、充実したものでした。 いままで、何度も参加している方がいるのも納得です。 また参加して、福岡の魅力を知りたいと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.08 18:00:22
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