毎日の生活で感じたこと
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今日は「追い山」・・・朝4時59分に一番山笠が櫛田神社入り。 その後5分ごとに、山がスタート。 朝五時に目が覚めると、「オイサ、オイサ!」の声が遠くから聞こえてきます。 「今起きて行けば、間に合う」 そう思いましたが、頭が痛くて断念・・・二度寝。 連日・猛暑の中での見学で、疲れがたまってました。 起きてベランダに出ると、昨日以上の強い日差し。 今日も暑くなりそうです。 実は昨日夕方、呉服町まで買い物に行く途中、山を見学しました。 見学しているのは、ほとんどが町内の人たち。 近くで見ることができたので、その時の写真を紹介します。 「七番山笠 中洲流」 すぐ近くで、スタートする様子を見学。 撮影時、偶然モードダイヤルが動き「アートショット」に。 予想外の「はっきりくっきりショット」・・・男衆の動きがよくわかります。 「一番山笠 西流」 呉服町方向に、町内を斜め方向に移動。 バケツを手に持ち、山が来るのを待つ町内の人たちがいる場所で待機。 しばらくすると、車両を停止するために、男衆や警官がやってきました。 「オイサ、オイサ!」と、まずは子供たちの声・・・そして山の姿! 山が旋回する様子を、近くで見ることができました。 このまましばらく町内をまわりました。 再び来るのを、今か今かと待っていると・・・「来た!」 カメラを持った人たちは、山の集団の後を追いかけます。 山が昭和通りを横断し終わるまで、信号関係なく車両は停止。 後に続く人たちは、男衆たちの後ろをピッタリついて横断。 明治通りまで出て、呉服町の交差点で飾り山を見学。 ここには、英語・ハングル語などの説明文がありました。 「六番山笠 東流」 「思君慈母成鬼神(きみをおもえば じぼもきしんとならん)」 女性が銃を構えているので、気になっていた山です。 以下説明文です。 山笠事で城(家庭や稼業)を留守にする男衆の代わりに、それを守る「ごりょんさん」に 敬意を表します。 豊後・大友宗麟の一族で豊後鶴崎城城主・吉岡統増(むねます)の母で、夫は戦士しており、 出家して「妙林尼」と称してました。 天正十四年(1586年)、島津勢と大友勢との戦いに息子の統増(むねます)は精鋭を率いて 参戦します。 そのため残ったのは、老兵・農民・女子供だけです。 島津の分隊三千が、鶴崎城を取り囲みます。 降伏との意見が多い中、妙林尼が指揮をとり、280丁の鉄砲と鳴子・落とし穴・馬矢来などを 駆使して撃退すること十六回。 手を焼いた島津勢からの和睦提案を受け入れたと見せかけ、何度も酒宴を開きます。 その後豊臣秀吉が九州攻めを開始したため、早朝に二日酔いで島津勢は撤退を開始。 退路に伏兵を置き奇襲をかけ、討ち取った武将の六十三首を大友宗麟に届け、報告を聞いた 秀吉を驚愕させた人物です。 人形師 白水英章 山大工 名越正志 説明を読んでから、改めて見ました。 凛とした美しさに秘めた、「絶対に城を守死する」という強さを感じました。 秀吉が驚愕するのは、当然ですね。 買い物をすませ、家に帰る途中、山のテントの横を通りました。 男の子が立って、はきはきと男衆の質問に答えてます。 答えるたびに、笑い声が響き、とても和やかな雰囲気があふれてました。 ユネスコ無形文化遺産登録された理由が、こんなところにもある・・・ そう強く感じました。 「大黒流」の雄姿を見れなかったのは、残念でした。 来年は、体調万全で見に行かねば!
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