カテゴリ:健康
昨日「若年性認知症」についての講演会に参加しました。
とてもいい内容だったので、紹介します。 「若年性認知症とは」 田中清貴先生 「あらゆる脳疾患が認知症に通じます。認知症は、病気でないんですよ」 そのため、認知症は誤診も多いのです。 定期的に経過観察をし、病名を見極める必要があります。 亡くなられたあとの解剖で脳を見て、初めて本当の病名が分かるのです。 だからこそ、通院を一回でやめず、続けることが大切です。 認知症の患者さんの様子は、20年前とは大きく変化してます。 おとなしい患者さんが増え、人のものを盗み食いする人もいなりました。 当時暴力的だったのは、元軍人さんだった人・・・若い時の記憶がそうさせていたようです。 「盗られ物」は、米→服・リモコンなどへ変化。 「盗った人」は、嫁→ヘルパー・隣人・デイサービス職員へ変化。(同居が減ったため) 「患者さんの訴えを再現することで、うまくいく場合がありますよ」 田中先生は、患者さんの訴えを聞くと、その状況を目の前で再現。 「そのようなことをする○○さんはおかしいね。そんなおかしな人、気にせんがいいよ。」 すると、次回来たときには「先生、気にせんようにしました。」 患者さんの気持ちを共有し、共感してアドバイス・・・ しっかり患者さんの言葉を受けとめる姿勢は、素晴らしいと思いました。 最初から薬を使うこともされないそうです。 若年性認知症は、65歳未満で発症する認知症です。 診断は、本人の自己評価と他人の評価に「ズレ」が起きているかで決定します。 またおなじ「忘れる」でも、単なる物忘れは問題にはなりません。 「生活に支障をきたす物忘れ」は起き始めたら、病院での相談をおすすめします。 若年性認知症の場合、その境界域(MCI)の段階で、職場などで問題が起きてきます。 「認知症=高齢者」だと思われているので、気がつかれることがあまりありません。 気づかれたときには、本人の心が大きく傷つけられているケースは多いです。 今の社会保障制度では、「若年性認知症」を保護できないのが現状です。 社会保障制度の恩恵を受けれるのは、高齢になってからなのです。 前頭前野の機能障害で、攻撃的になったり、必要以上に物を買ったりする行動が起こります。 退職金で、同じ車を26台購入した人。 欲しい商品を手にし、そのままお金を払わずに店を出て捕まった人。 洗濯物が好きで、他人の洗濯物を持って帰り、その中に女性下着があって大騒ぎになった人。 認知症の方が万引きをすると、○○刑務所に移送されることを知りました。 認知症の方の症状には、BPSD(行動心理症状)があります。 暴言・不安・焦燥・抑うつ・過食・異食・多動・多弁・妄想・幻覚・睡眠障害など。 この症状は、周囲の人との関わりの中で起こってきます。 以下のような対応をすると、PBSDは誘発されます。 ・間違ったこと・できないことを指摘。 ・やってることを途中で制止・ ・できなくなったことを強制。 ・過干渉(過剰な見守りと援助) (※これって、認知症に関係なく、誰だって嫌なことですよね。) 「若年性認知症」の方が、安心して生活していくには、いくつかのポイントがあります。 まず、就労がうまくいくことです。 そのためには、「その人のできること」をいかしてあげることです。 また、支援者とつながることも必要です。 特に「若年性認知症」の方たちとのつながることは、とても大切です。 なぜなら、当事者同士でないと本当の意味で理解することができないからです。 「若年性認知症」は、若い人ほど早めに病院に行ってほしいと思ってます。 不安でいっぱいの認知症の患者さんに寄り添うことが、大切なんだと強く感じました。 「こんな高いところから話すのは、苦手なんですよ」 そう言って何度も壇上から降りて、その場でずっと話したり、檀上にしゃがみ込んで話したり・・・ 「自分の知識を教えよう」ではなく、「みんなでいっしょに、考えていきましょうね。」 そんな優しさを感じられる、素晴らしいお話でした。 「居場所があれば輝ける~経験を通したご本人の言葉を皆様へ」 高橋英二氏 介護施設の施設長として働いていたころは、多忙な日々を送ってました。 文字を書くのに時間がかかったり、漢字を思い出せなかったり、道を間違えたり・・・ 職場では、「仕事で疲れてるだけだよ。」と言われてました。 しかし気になって病院へ・・・5年前にMCI(軽度認知障害)と診断されました。 「これから自分はどうなっていくんだろう?」 「朝起きて、自分の顔もわからなくなっていたら、どうしよう・・・」 不安な気持ちで過ごす日が続き、怖くて怖くてたまりませんでした。 仕事を退職し、妻が仕事をし、自分は「主夫業」をすることに。 佐賀大学のドクターのアドバイスは、「からだを動かすといいですよ。」 それをもとに、独自の予防プログラムを考え実践し過ごしてました。 しかし、「男は仕事、女は家事」という考えの人間です。 「自分は何をやっているんだろう」と、やる気が落ちてきました。 そこで、自分のような人間が通えるデイサービスを探してみました。 ところが、当時北九州ではそのような場所が少なかったんです。 行ってみると、20代の女性から「塗り絵をしましょうね~」と、子ども扱い・・・ 「何もできなくなったわけではない。」「社会の一員として、貢献したい。」 「自分でできることを見つけて、前向きに生きていきたい。」 「MCIや認知症の方が利用しやすいデイサービスを、自分で設立しよう!」 妻の協力もあり、北九州市に「デイサービス春の音」を、設立しました。 MCIや認知症になっても、それぞれ得意なこと・できることがたくさんあります。 地域の人たちとの交流も兼ね、いろいろなイベントを行っています。 干し柿を作ったり、餅つきをしたり、バーベキューをしたり、料理サロンを開いたり・・・ ハロウィンではカツラをかぶってメイク・・・一度やるとくせになります(笑) みんなでウォーキングに行ったり、講演でバドミントンをして体を動かしてます。 公園に行くときは、必ずごみ袋持参・・・妻に「手ぶらで帰ってきちゃだめよ」と言われてます。 車の運転は、やめました。 「加害者」にも「被害者」にもなりたくないからです。 MCIや認知症になると、「感性」が鋭くなります。 なので、へんに気を使うことなく「自然体」で接してもらいたいです。 今回、皆さんの前でお話をするのは、とても不安でした。 しかし田中先生がとても素晴らしい方で、先生と出会えたことは本当にうれしいです。 ありがとうございました。 佐賀大のドクターから聞いた言葉で、強く心に残っている言葉があります。 「使わない包丁は錆びる。脳も同じ。」 夢はロックバンドを組んで、人前で演奏することです。 今回皆さんの前でギター演奏したかったのですが、最近指がうまく動かなくなってきました。 でも必ず指がよく動くよう練習して、夢を実現したいです。 「MCI」「認知症」と聞くと、私も「だんだん何もできなくなる・・・」 そんなくらいイメージを、持っていました。 当事者である高橋氏のお話を聞き、そのイメージが一掃しました。 「認知症は、認知能力がなくなることではない。 その人が持っている能力を改めて知って認めることなんだ」 そう思うと、MCIや認知症になることが、怖くなくなりました。 利き手の中村益子氏(福岡県認知症支援コーディネーター)が、 高橋氏のお話のサポートをつかず離れずのいい距離でされている様子も、素敵でした。 中村氏の運転で熊本に向かったときのお話も、印象に残りました。 途中パーキングで車を停め、休憩。 出発のためにパーキングに行くと、車をどこに止めたか中村氏がわからなくなりました。 高橋氏は、「大丈夫、歩いて行けばいいよ」と言いながら車を見つけてくれたそうです。 意気消沈する中村氏に、高橋氏はこう言ったそうです。 「そのぐらいのほうが、僕は一緒にいてすごく安心できますよ。完璧だと、心が休まらんしね。」 「考えても仕方ない、なるようにしかならんしね。」 高橋氏の話から、すこやかに生きていくヒントも学べました。 今まで参加した認知症の講演会の中で、一番よかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.10.08 18:34:11
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