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カテゴリ:1973
どのくらい天才かというと、宇多田ヒカルに匹敵するくらい(どうか気になさらずに)。 ホントに天才である。 1950年4月4日埼玉県に生まれ、東京は大森で大衆食堂を営む両親のもとで育った斉藤哲夫は、URCに見い出され早川義夫ディレクターのもと70年2月、19歳で「悩み多き者よ」でデビュー、71年2月には2ndシングル「されど私の人生」を発表している。この曲は本人版よりむしろ71年6月に発売された「よしだたくろうオン・ステージ ともだち」でカバーされ、すっかり拓郎のナンバーになってしまった。 72年6月、デビューから2年以上を経てようやくファーストアルバム「君は英雄なんかじゃない」を発表。誰にも創造しえない壮大な思想的楽曲が並んだ。 URC所属のアーチストのマネージメントをしていた"音楽舎"が72年11月に"如月音楽一家"に引き継がれ、73年岡林信康・加川良・友部正人・シバそして斉藤哲夫がURCからCBSソニーへ一括"移籍"することになる。 よしだたくろうはともかく、南沙織・天地真理・山口百恵・キャンディーズ・フォーリーブス・郷ひろみらを売り出していた会社に"ポーン"と投げ込まれた状況下、"ポーン"とフォークの殻を打ち破ってみせたのが、斉藤哲夫だ。 前作「君は英雄なんかじゃない」は、社会状況というより頭の中の思想を文章化して歌い上げた傑作だ。いわゆるメッセージソングと違って、シングアウトなんてとてもできない孤高な世界を作り上げていたと思う。ただあまりに力の入った歌唱が聴き手には共有できないところがあって、なかなか入り込みにくい感じがした。だけどその唯一無二の世界は「君は英雄なんかじゃない」を永遠のものに高めていると思う。 そしてアンダーグラウンドレーベルからメジャーシーンに移った本作は・・・やっぱり傑作だった! 歌詩だけを並べると、 「これといった希望なんてなくて その様なものといった確かな夢もなくて ただそれだけでは ただそれだけでは不満足という」(今日と明日をむすぶかけ橋) とか 「もう春です 古いものは捨てましょう 頭をかかえて 悩む時期はすぎた どう転ぼうとも後には戻れない よせては返し 返してはよせる波の上を」(もう春です(古いものはすてましょう)) とか 「インテリでもなきゃかっこよくもない そう僕は凡そな男 君から何かをうばおうとかなんとか そんなつもりじゃない」(ねえ君) とか 「時は悲しみも苦しみも洗い流す川の流れ 長く曲がりくねりして海へそそぐ時は僕の道しるべ」(今日から昨日へ) とか 「静けき深い夜に この世に旅立つ人の影が はかなく求めさまよう」(頭の中一ぱいに続く長い道) とか、はたまた 「親愛なる紳士淑女の為に 世の中とは奇々怪々諸説諸諸 老いも若きも之れ現代大平天国の時代という」(親愛なる紳士淑女の為に) などなど、相変わらず小難しい言い回しだったり、文語口調だったりするのだけれど、そんなのおかまいなしに(?)実に軽やかに、おしつけがましくなく歌ってしまう。なんて人だ! 瀬尾一三のアレンジがとても洒落ている。ほぼ同時期の"猫"の「猫二枚目」を昨日聴いたけれど、同じ人のアレンジ?と思うくらい違う。 バックコーラスのちょっと素人っぽい「バイバイグッグッグー」とか「ワッシュビドゥバーワッシュビドゥバー」とか、「チキチキチー吉祥寺ー」なんかとてもごきげんだ。 盟友岡田徹・白井良明、幻の新六文銭のチト河内・後藤次利らが小気味よい演奏を魅せる。ファーストの鈴木慶一・渡辺勝らの演奏はとてもクールなものだったけれど、このアルバムはとってもあったかい。 信じられないくらい名曲だらけの、ほんとにいいアルバム。この春先の日溜まりのようなアルバム。 さらに信じられないことに、74年7月の3rd「グッド・タイム・ミュージック」も、75年9月の4th「僕の古い友達」も・・・・・・傑作だった! 斉藤哲夫はやっぱり天才だった・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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