日本犬の体高、オオカミの体高、紀州の体高
日本犬の体高、オオカミの体高、紀州の体高日本犬の体高、オオカミの体高、紀州の体高図はエゾオオカミ、ニホンオオカミ、紀州犬、柴犬の体高比較。犬の頭骨の模型。歯と頭骨。犬とオオカミは歯の数などが共通である。犬の頭骨と歯の図。犬とオオカミは歯の数などが共通である。犬の骨格図。全身骨格図奈良県文化財研究所による。日本犬の体高、オオカミの体高、紀州の体高(本文)ある人が狩っている紀州犬の体高です。紀州犬、胡麻毛、メス、1歳2カ月の体高は43cm。(標準体高は49cm。標準規定は46cmから52cm)紀州犬、白毛、オス、10カ月の体高は51cm。(標準体高は52cm。標準規定は49cmから55cm)日本犬保存会の体高規定 日本犬保存会が規定している日本犬の体高は次の通りです。(1)小型犬 オス38~41cm(中間は39.5cm) メス35~38cm (中間は36.5cm)(2)中型犬 オス49~55cm(中間は52cm) メス46~52cm(中間は49cm)(3)大型犬 オス64~70cm(中間は67cm) メス58~64cm(中間は61cm) 小型犬は柴犬です。中型犬には紀州犬、四国犬、甲斐犬、北海道犬がおります。大型犬は秋田犬です。天然記念物の指定日本犬保存会は、日本犬の本質や理想的な体型をもとにして、昭和9年(1934)「日本犬標準」を制定し、その大きさにより、小型・中型・大型の3型に分類して保存する方法がとられました。そして、文部省から国の天然記念物とし指定されて現在に至っています。型 犬種 天然記念物 指定年度小型 柴犬 昭和11年(1936)中型 紀州犬 昭和9年(1934) 四国犬 昭和12年(1937) 北海道犬 昭和12年(1937) 甲斐犬 昭和9年(1934)大型 秋田犬 昭和6年(1931)※日本犬保存会は、この6種類のうち、主に柴犬・紀州犬・四国犬の3犬種が多く登録されています。柴 犬 ・ 標 準 (雄) 柴 犬 ・ 標 準 (雌)体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)柴 おす39.5cm(38cm〜41cmの間)体重 9kg〜11㎏位標準サイズ(許容範囲)柴 めす36.5cm(35cm〜38cmの間)体重 7〜9㎏位柴犬は、日本犬の中で随一の小型犬種です。6犬種の中では、人気が継続している犬種で、小さい身体の中に日本犬の特徴を充分に備えて、現在日本で飼育されている日本犬種の80%位を占めています。豆柴について(日本犬保存会の説明あるいは声明)豆柴、小柴及びそれらの類似名称犬について日本犬保存会では「豆柴」と明記した血統書は発行していません。柴犬の標準体高は昭和9年(1934年)9月に制定されました。雄犬の標準体高は39.5cmで38cmから41cmの幅を認めています。雌犬は36.5cmで35cmから38cmの幅を認めています。(体重は雄は9kgから 11kg前後、雌は7kgから9kg前後です。)昭和初期の頃、絶滅寸前になっていた日本犬を残そうとして全国各地において地の犬の調査を行い、残存した優秀犬や犬に関する文献などを参考にして小型犬(柴犬)、中型犬(紀州犬・四国犬・甲斐犬・北海道犬)、大型犬(秋田犬)の三型に分類して保存することにしました。以来現在に至るまで、柴犬の体高は理想的なものとして守られ定着しています。ところが十数年前の頃より豆柴・小柴あるいはミニ柴等という名前を聞くようになりました。柴犬の実体を知らない人達の間で豆柴という言葉が先行しているきらいがありますが、犬の体格というものは人為的に比較的容易に変えられるもので洋犬種の中にはミニ化された犬種が結構みられます。これらと同様な考えで柴犬を矮化し小さくするという行為は柴犬を正しい姿で固定化し、後世に伝えるという本会の主旨を根底から覆すもので、柴犬が持つ日本犬としての本来の姿を否定するものです。そしてこれらの豆柴と称される犬達があたかも希少種であるかのように、一部では広告され喧伝されていて、柴犬のことを深く知らない方々から問い合わせや苦情も寄せられています。これらのものは本会が定めた日本犬標準、登録規定に反し、尚かつ日本犬の血統をも混乱させるもので、規格外の体高不足犬ということで日本犬保存会として公認することはありません。紀州犬 KISHUUKEN紀 州 犬 ・ 標 準 (雄) 紀 州 犬 ・ 標 準 (雌)紀州犬体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)オス52cm(49cm〜55cmの間)体重 17kg〜23kg 体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)メス49cm(46cm〜52cmの間)体重 15kg〜18kg位紀伊半島一帯で飼育されていました。素朴な風貌で雄犬は力強く雌犬は優しさを感じさせます。主には獣猟犬として飼育されていました。猪猟にかける巧みさは随一と言われていますが狩猟人口が減り現在は家庭犬として飼育されるようになりました。四国犬 SHIKOKUKEN四 国 犬・ 標 準 (雄) 四 国 犬・ 標 準 (雌)体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)オス52cm(49cm~55cmの間)体重 17kg~23kg位 体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)メス49cm(46cm~52cmの間)体重 15kg~18kg位高知県を主に四国山脈の山間部で保存されてきました。古くは「土佐犬」と呼ばれていましたが土佐闘犬とまぎらわしいので、現在は四国犬と呼ばれて全国的に一般の家庭で飼われています。野生的な風貌で精悍ないでたちは四国犬特有のもので軽快な歩様の中に隙のない構えはこの犬種の愛好家にはたまらない魅力となっています甲斐犬 KAIKEN甲 斐 犬・ 標 準 (雄) 甲 斐 犬・ 標 準 (雌)体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)オス52cm(47cm~55cmの間) 体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)メス49cm(44cm~52cmの間)南アルプスの周辺地域を主な生息地としていました。カモシカ等を狩る犬として存在価値は高いものがありました。家庭犬としてよりも自然界で形作られた厳しい姿を有のままに保存されてきました。北海道犬 HOKKAIDOUKEN北 海 道 犬・ 標 準 (雄) 北 海 道 犬・ 標 準 (雄)体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)オス52cm(47cm~55cmの間) 体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)メス49cm(44cm~52cmの間)太平洋に近い広大な地域に散在しそれぞれが異なる系統を構成して保存されていました。血統的には他の日本犬種と同族といわれています。地域ごとに見られた系統的特徴は徐々に薄れています。大型犬秋田犬 AKITAKEN秋 田 犬・ 標 準 (雄) 秋 田 犬・ 標 準 (雌)体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)オス67cm(64cm~70cmの間) 体高<足元から肩までの高さ>標準サイズ(許容範囲)メス61cm(58cm~64cmの間)奥羽山脈一帯で狩猟犬として使われてきたマタギ犬や大館地方の地犬を基にして作られた大型犬種です。秋田犬も現在頭数が少なくなってきています。オオカミ体高(肩高)は雄で80センチほど、雌で70センチほどありオス80cm 体重40kgメス70cm 大樹30kg1902年にアメリカ北ダコタ州で捕獲された雄の79キログラム、1973年にアラスカ州で捕獲された雄の89キログラムなどがあり、大きいものはクマほどもある。ニホンオオカミ体高(肩高)は50センチから60センチほど展示標本の肩高は約46センチ、ライデン博物館の標本は43センチ、平岩1992。オスメスエゾオオカミ (Canis lupus hattai)北海道にはエゾオオカミ (Canis lupus hattai) というニホンオオカミよりはひとまわりほど大きい亜種がいたが、これは大陸のオオカミと同じ亜種とされている。 オオカミの肩高は雄で80センチほど、雌で70センチほどあり、体重は雄で40キログラム、雌で30キログラムあるいはそれ以上になる。この大きさを犬と比較すると、シェパードやグレートデンよりもさらに大きく、人間にとって恐れるに十分な大きさの獣である。これまでの記録としては1902年にアメリカ北ダコタ州で捕獲された雄の79キログラム、1973年にアラスカ州で捕獲された雄の89キログラムなどがあり、大きいものはクマほどもあることがわかる。ニホンオオカミ (Canis lupus hodophylax) は大陸のオオカミよりははるかに小さく、 肩高が50センチから60センチほどで、中型の日本犬ほどの大きさであった(ただし展示標本の肩高は約46センチ、ライデン博物館の標本は43センチ、平岩1992)。北海道にはエゾオオカミ (Canis lupus hattai) というニホンオオカミよりはひとまわりほど大きい亜種がいたが、これは大陸のオオカミと同じ亜種とされている。オオカミは大きい上に走る能力にすぐれ、短距離なら100メートルを8秒で走れる上に、長距離をも得意とし、マラソン以上の距離を続けて走ることができる。中には250キロメートルを走り続けたという記録もある(ベルナール1991)。しかも聴覚、嗅覚、さらに知力にすぐれ、リーダーのもとに組織的な狩りを行う。ニホンオオカミの記録と標本日本の多くの動植物と同様、ニホンオオカミの記録もシーボルト (von Siebold, P.F. 1796-1866) に始まる。シーボルトは1826年に長崎から江戸に行く途中、大阪でニホンオオカミの標本を得た。そして1830年にこれをほかの多くの動植物の標本とともにオランダに持ち帰った。これをライデン博物館館長であり、動物分類学者であったテミンク (Temminck, C.J. 1778-1858) が記載した。彼はニホンオオカミをヨーロッパのオオカミとは別種とし、Canis hodophylax TEMMINCK, 1839とした。現在では世界のオオカミの研究が進み、変異の幅が大きいことがわかって、オオカミは一種であるとする見解が主流であるが、異論もある(今泉1965、1970a、b)。ニホンオオカミについても残された標本の数が少なく、しかも状態が良くないため見解の一致にいたっていない。しかし最近の生物学技術の発達により、少量の体毛からでもDNAを取り出して比較ができるようになったから、将来、現存する世界のオオカミとの系統関係の検討ができる日が来るかもしれない。現存する標本ニホンオオカミは明治の早期に絶滅したため、頭骨、毛皮は数体存在し剥製は世界に4体しかない。うち国内は3体、オランダに1体が確認されている国立科学博物館(剥製、全身骨格標本:1870年頃・福島県産オス・冬毛)東京大学農学部(剥製:1881年岩手県産メス・冬毛)和歌山県立自然博物館(剥製:1904年和歌山・奈良県境大台山系産・冬毛、和歌山大学より寄託)‐吻から額にかけてのラインに段があり、日本犬のような顔になっている。標本を作る際のミスとの意見もある。註:大英博物館にワシカグチのオオカミが保存されている。日本国外オランダ・ライデンのオランダ国立自然史博物館(剥製:1826年大阪天王寺で購入・成獣) - 江戸時代にシーボルトが日本から持ち帰った多くの動植物標本の内の一点、ヤマイヌという名称でタイプ標本となっている。愛知万博で里帰り展示された。イギリス・ロンドンのロンドン自然史博物館[27](毛皮、頭骨:1905年奈良県東吉野村鷲家口で購入・若いオス・冬毛)ドイツ・ベルリンのフンボルト博物館(毛皮)頭骨などニホンオオカミの頭蓋骨標本本州、四国、九州の神社、旧家などに、ニホンオオカミのものとして伝えられた頭骨が保管されている。特に神奈川県の丹沢ではその頭骨が魔よけとして使われていた為、多く見つかっている。2004年4月には、筋肉や皮、脳の一部が残っているイヌ科の動物の頭骨が山梨県笛吹市御坂町で発見され、国立科学博物館の鑑定によりニホンオオカミのものと断定された(御坂オオカミ)。DNA鑑定は可能な状態という。中部地方や関東地方の山間地には狼信仰があり、民間信仰と関係したオオカミ頭骨が残されている。御坂オオカミは江戸後期から明治に捕獲された個体であると推定されており、用途は魔除けや子どもの夜泣きを鎮める用途が考えられ民俗学的にも注目されている。現在は山梨県立博物館に所蔵されている。栃原岩陰遺跡の遺物を収蔵展示している北相木村考古博物館にはニホンオオカミの骨の破片が展示されているが、その他多くの縄文・弥生遺跡からニホンオオカミの骨片が発掘されている。1万8000年前の「イヌ」、永久凍土から発見 きれいなまま2019年11月29日。The small puppy with dark fur with its teeth exposed画像提供,LOVE DALEN画像説明,イヌ? オオカミ? 研究者はその中間の可能性もあるとしているロシア・シベリア地方の永久凍土層から1万8000年前のイヌ科の赤ちゃんの死体が見つかった。研究者はイヌなのかオオカミなのかの見極めに苦慮している。生後2カ月で死んだとみられるイヌ科の赤ちゃんは、毛皮や鼻、歯などがきれいな状態のまま冷凍保存されていた。研究者はDNAを調べたが、どの種の動物なのかを特定できなかった。オオカミが現代のイヌに進化する過程の動物だった可能性もあるとしている。The puppy in a laying down position画像提供,SERGEY FEDOROV画像説明,毛皮も体のほとんどの部分で残っていた<関連記事>イヌと人、9000年前から共に旅 DNA研究で明らかに。「オオカミは悪者」のイメージは間違い――研究者らが指摘。犬はどうやって人間の親友に? 家畜化の新証拠。研究者たちはこの赤ちゃんを「ドゴール(Dogor)」と名づけた。ヤクート語で友人を意味する。また、イヌかオオカミか(Dog or wolf?)という問いの頭の文字でもある。性別も特定。イヌ科の赤ちゃんが死んだ時代と、冷凍保存されていた年数は、死体の炭素濃度を手がかりにする放射性炭素年代測定法により判明した。ゲノム解析から、オスであることもわかった。A close up of the puppy's teeth画像提供,SERGEY FEDOROV画像説明,歯に加え、ひげもきれいな状態で保存されていた。スウェーデンの古遺伝学センターのデイヴ・スタントン研究員は、DNAの分析により、この赤ちゃんはイヌとオオカミに共通する祖先の一団に属していた可能性があると、CNNに語った。同センターのラヴ・ダレン研究員は、赤ちゃんはオオカミの子か、「これまでに発見された最古のイヌかもしれない」とツイートした。イヌをめぐる議論現代のイヌはオオカミの子孫と考えられている。ただ、イヌがいつ人間に飼い慣らされるようになったのかは、議論が続いている。2017年には、イヌの家畜化は2万~4万年前に始まったとする研究が発表された。研究者らはドゴールのDNA分析を進め、イヌの進化を明らかにしていきたいとしている。(英語記事 Scientists stumped by 18,000-year-old frozen 'dog')ニホンオオカミ -19Kbyte image-Canis lupus hodophylax Temminck脊椎動物門哺乳類綱食肉目イヌ科 岩手県 1881年購入 農学部森林動物学教室ヤマイヌとオオカミオオカミに関する呼称には混乱がある。「ヤマイヌ」はオオカミの別称であり、同じ動物である。混乱の1つは「山犬」だから、野生化した犬だろうという誤解である。確かに犬が野生化して人の手を離れて野山で自活し、繁殖さえしているものがいる。これは野生犬という意味で「ノイヌ」と呼ばれており、「ヤマイヌ」という呼称は正しくない(註1)。ノイヌはあくまで犬、すなわち家畜犬であり、日本列島の生態系のメンバーではない。混乱の第2はオオカミを誤ってヤマイヌと呼ぶことがあるために生じたものである。これはまさに呼び名の違いであって、同じ動物に対する別称、つまりサメとフカのような関係にある。オオカミは「大神」、すなわち大いなる神様という意味である。日本では犬という言葉はしばしば侮蔑的な意味を含み、例えば「犬死」、「夫婦喧嘩は犬も食わない」、「官憲の犬」などの表現があるし、ピリッと辛いタデに似ているのにその味のしないものには「イヌタデ」と名付けられていることを考えると、犬にそっくりなこの獣に「大神」という、畏敬の極みと呼べるような名前がついているのは不釣り合いな気がする。ちなみに「ヤマイヌ」にはさらに複雑な問題がある、あるいは、あった。それはわが国の動植物に関する知識が中国の本草学の影響を受けていたことに関係する。中国大陸には豺(さい)というオオカミに似た、しかし体ははるかに小さい獣がいる(大陸のオオカミは体重が30キログラム以上あるが豺は10キログラムほど)(註2)。日本の本草学研究者は豺が日本にもいるに違いないと考え、これを「ヤマイヌ」としたらしい。これは実体のない、ゴースト・ネームであった。それにもかかわらず、書物によってはもっともらしくオオカミとの区別法まで書いてあるという。いもしない動物の区別法を書くなどというのは過去の愚かな話のように思えるが、先進国の文献を鵜呑みにして実際の自然を自分の目でしっかり見ない研究者が今の日本にいないだろうかと考えると笑ってばかりはいられない。オオカミの呼称としては東北地方の「オイヌ」がある。これはおそらく「御犬」であり、普通の犬ではないという敬意を含むものであったと思われる。字としては狼があてられ、例えば狼久保(おいぬくぼ)(岩手県滝沢村)、狼河原(おいぬがわら)(宮城県登米郡東和町)などの地名に残っている。東北地方は自然が豊かに残っていたからオオカミが広範に生息していたものと考えられる。ことに北上山地は馬(南部駒)の山地であったため、オオカミは農作物を荒らすシカを懲らしめてくれるありがたい、しかし恐るべき動物であると同時に、馬を襲う憎むべき害獣でもあった。北上山地の森林は早くから開発されたが、その主な目的はオオカミを駆除しやすくするためであったといわれている。オオカミはどんな動物かオオカミ (Canis lupus) はイヌ科も Canis 属に属し、この属にはオオカミのほかにジャッカル (C. mesomelas)、コヨーテ (C. latrans) などがいる。イヌも Canis 属の一員で、オオカミとは近縁である。オオカミとイヌとの分化は1万数千年前で、ごく最近のことといってよく、これに較べれば一見似ているように見えるキツネとの分化は1500万年ほど前とされており、意外と古い(挿図1、Mech, 1970)。イヌとオオカミが近縁であることは、両者の間で交雑も起きることからも裏付けられる(平岩1992)。なお、日本にはイヌ科としてキツネとタヌキがいるが、いずれも違う属に属す(キツネは Vulpes 属、タヌキは Nyctereutes 属)。オオカミは北半球の北部に広く分布し、ことに北緯50度から60度に多いが、一部ではインドやメキシコなどかなり南にも及んでいる(挿図2、Fox, 1970)。というよりも本来は北緯20度以北に広く分布していたものが、人間による迫害によって現在の範囲に追いやられているというのが事実である (Fuller, 1995)。32-1 オオカミの進化(Mech, 1970)32-2 オオカミの分布(Fox, 1975)肩高は雄で80センチほど、雌で70センチほどあり、体重は雄で40キログラム、雌で30キログラムあるいはそれ以上になる。この大きさを犬と比較すると、シェパードやグレートデンよりもさらに大きく、人間にとって恐れるに十分な大きさの獣である。これまでの記録としては1902年にアメリカ北ダコタ州で捕獲された雄の79キログラム、1973年にアラスカ州で捕獲された雄の89キログラムなどがあり、大きいものはクマほどもあることがわかる。ニホンオオカミ (Canis lupus hodophylax) は大陸のオオカミよりははるかに小さく、 肩高が50センチから60センチほどで、中型の日本犬ほどの大きさであった(ただし展示標本の肩高は約46センチ、ライデン博物館の標本は43センチ、平岩1992)。北海道にはエゾオオカミ (Canis lupus hattai) というニホンオオカミよりはひとまわりほど大きい亜種がいたが、これは大陸のオオカミと同じ亜種とされている。オオカミは大きい上に走る能力にすぐれ、短距離なら100メートルを8秒で走れる上に、長距離をも得意とし、マラソン以上の距離を続けて走ることができる。中には250キロメートルを走り続けたという記録もある(ベルナール1991)。しかも聴覚、嗅覚、さらに知力にすぐれ、リーダーのもとに組織的な狩りを行う。http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1995collection2/tenji_honyurui1_32.htmlニホンオオカミの記録と標本日本の多くの動植物と同様、ニホンオオカミの記録もシーボルト (von Siebold, P.F. 1796-1866) に始まる。シーボルトは1826年に長崎から江戸に行く途中、大阪でニホンオオカミの標本を得た。そして1830年にこれをほかの多くの動植物の標本とともにオランダに持ち帰った。これをライデン博物館館長であり、動物分類学者であったテミンク (Temminck, C.J. 1778-1858) が記載した。彼はニホンオオカミをヨーロッパのオオカミとは別種とし、Canis hodophylax TEMMINCK, 1839とした。現在では世界のオオカミの研究が進み、変異の幅が大きいことがわかって、オオカミは一種であるとする見解が主流であるが、異論もある(今泉1965、1970a、b)。ニホンオオカミについても残された標本の数が少なく、しかも状態が良くないため見解の一致にいたっていない。しかし最近の生物学技術の発達により、少量の体毛からでもDNAを取り出して比較ができるようになったから、将来、現存する世界のオオカミとの系統関係の検討ができる日が来るかもしれない。ニホンオオカミの剥製標本は国内に3体しか残っていないとされる。すなわち、(1) 国立科学博物館の一体、(2) 和歌山大学の一体、そして(3) 今回展示されている東京大学の本標本である。本標本は1881年に東京大学が岩手県の業者から購入したもので、農学部森林動物学教室で保管されていた。ただ、岩手県産であるという以上の情報がなく、詳細は不明である。3体の標本は残念なことにいずれも剥製の技術が稚拙で、生きたオオカミのもつ凛々しさや力強さは全く表現されていない。国外では大英博物館とライデン博物館にそれぞれ一体の剥製標本があることが知られている。なおエゾオオカミの剥製標本は北海道大学に2体がある。剥製標本に較べると頭骨はかなり多いようで、お守りとして個人的に所蔵されたものが国内に散在しているらしい(今泉1969)。今泉(1969)はニホンオオカミとイヌの頭骨を比較して次の点で違うとした。(1) オオカミの方が列肉歯(上顎では第4前臼歯、下顎では第一臼歯)が相対的に大きい、(2) 頬弓(きょうきゅう)の最高点がオオカミでは鱗骨(りんこつ)だが、イヌでは頬骨(きょうこつ)である、(3) 側頭窩下部にオオカミは6個の孔があるが、イヌは5個、(4) 顔面のプロフィルがオオカミは直線的だが、イヌは中くぼみになる、など(挿図3、今泉1969)。頭骨による計測は剥製よりもはるかに精密な解析が可能であり、近年その解析法も著しく進歩しているので、これらが散逸しないうちに適切な保管がなされ研究されることを期待したい。32-3 ニホンオオカミとイヌ(グレートデン)の頭骨。1)上顎の裂肉歯はオオカミの方が相対的に大きい。2)頬弓の最高点はオオカミでは鱗骨だが、イヌでは頬骨。3)側頭窩下部の孔がオオカミでは6個、イヌでは5個。4)顔面部がオオカミは直線的だが、イヌは中くぼみ(今泉、1969より)。迫害の歴史オオカミはヨーロッパでは最も憎まれた動物といってよいだろう。これはヨーロッパにおいては羊をはじめとする牧畜業が重要な産業であり、家畜を襲うオオカミは害獣そのものであったからである。キリスト教世界における悪魔のイメージはオオカミと重複している。童話の中でもイソップ童話や「赤ずきんちゃん」などでもオオカミは悪役として登場する。狼男の話は童話としては恐ろしすぎ、大人の民間伝承として真剣に語られてきた。このようにヨーロッパではオオカミはまさに悪の象徴のような存在であり、人々の想像の中でオオカミはいたずらに恐ろしい魔物に仕立てられていった(挿図4a、b)。かくして18、19世紀にはヨーロッパ各国で徹底的なオオカミ駆除が行われ、オオカミは次々と絶滅していった。北アメリカでも20世紀になって各地で絶滅し、一時はカナダやアラスカの一部に残るだけになってしまった。最近になって野生生物保護の運動が活発になってきたが、オオカミにとってはやや遅きに失した感がある。それでもスペイン、イタリア、旧ソ連、アメリカ、カナダなどでかろうじて生き延びた個体群に対して保護の手が差し伸べられるようになり、かすかな希望が残されている。ことに北アメリカでは保護と同時に一歩進んで自然界にオオカミを返すという試みが積極的に進められ、成果を上げつつある。32-4 a)子供を襲うオオカミ、19世紀。b)巨大でグロテスクにデフォルメされたオオカミ、18世紀(ベルナール、1991)。日本でのオオカミ農業国であった日本において農民を悩ませたのはイノシシやシカなどの草食獣であった。したがって彼らを襲うオオカミはむしろ農民の味方であり、人々はヨーロッパ人とは逆のとらえ方をしていた。ありふれた動物の代表である犬によく似た動物でありながら、オオカミは「大神」つまり大いなる神であった。当然、日本にはオオカミを祭る神社も少なからずある。秩父の三峯山はその代表的なもので、神社に所蔵されている絵やお札(ふだ)には向かいあうオオカミが描かれている(挿図5)。縁起にはオオカミに祈るとシカやイノシシの害がなくなり、災いが来ないという意味のことが記されている。32-5 三峯神社所蔵の神狼図(平岩、1994)ところが江戸時代に事態が一変する。1732年に狂犬病が流行して、オオカミが人を襲い、しかも襲われた人が狂ったように苦しんで死んでいったので、オオカミはにわかに忌まわしい動物となってしまった。平岩 (1992) は、オオカミは集団生活をするので伝染病が流行すると個体群全体が壊滅するため減少に拍車がかかったと考えている。そして明治時代になって徹底的な撲滅作戦がくり広げられた結果、1905(明治38)年には絶滅してしまったとされる。1904年、ロンドン動物学会と大英博物館による東アジア動物探検隊の一員として来日したイギリス人アンダーソン (Anderson, M.P. 1878-1919) は1905年に奈良県吉野郡で調査をしていた時、猟師が持ってきたオオカミの死体を買い取った。これは若い雄で毛皮と頭骨標本は大英博物館に保管されている。記録の上ではこれが最後のニホンオオカミということになっているが、いわば物的証拠がこれであるということで、実際にはこれよりもかなりあとまで生き残っていたと思われる。奈良の奥地は関西においては山深い場所であったとはいえ、近畿地方はなんと言っても古くから開けた地方である。それに較べれば中部地方の深山や東北地方では真の自然がごく最近まで残されていた。ことに東北地方では大正時代あるいはさらに最近まで生き延びていた可能性がある。現在のように最新の情報が津々浦々まで一瞬に届くようになったのはつい最近のことであり、当時の僻地ではたいていの人はオオカミがいなくなったという情報そのものを知らなかったはずである。したがってオオカミを見ても報告したり記録したりすることもなかったであろう。エゾオオカミは北海道開拓の中で徹底的な撲滅作戦が展開された。賞金がかけられ、またストリキニーネによる毒殺が行われたので効果はてきめんであった。捕獲され賞金を払われたエゾオオカミは合計1539頭であったと記録されている。エゾオオカミはこの作戦によって急激に減少し、1889年には絶滅してしまった。現在でも自然の残されている北海道においてニホンオオカミよりも早くエゾオオカミが絶滅したというのは意外なことだが、それだけ撲滅作戦が徹底し、効果的だったということなのだろう。日本におけるそれまでのオオカミ信仰を考えると、この手のひらを返すような迫害は不思議な気もするが、それには日本人の自然観の変化もあずかっていると思われる。明治時代は日本人の価値観を激しく覆した時代でもあった。富国強兵という大目的のために、政治から日常生活にいたるまで徹底的な変化が求められた。民話では立身出世や親孝行が強調され、また外国の童話が紹介された。「赤ずきんちゃん」などはその代表的なもので、この中ではオオカミは欲張りで嘘つきな悪者とされる(挿図6)。「3匹の子豚」でもオオカミは飢えた狡猾な動物で、悪い大人を象徴している。こうして「男はみんなオオカミよ」といった使われ方が定着していった。この、江戸時代の「大いなる神」から現代の「いやらしい大人」への極端な失墜を考えると、明治以降の日本におけるオオカミに対する見方の変化は幼児に対する教育がいかに大きな効果を持つかを知る上で注目に値する。32-6 赤ずきんちゃんとオオカミ、19世紀(ベルナール、1991)。オオカミの実像オオカミの研究は最近になって急速に進んだ。その背景には、害獣であり駆除の対象でしかなかったオオカミを1つの野生動物として中立な立場で理解しようとする動物観の変化があった。また、動物の種をばらばらに研究するのではなく、それぞれの種が生態系の中でどのような役割を担っているかという生態学的視点も影響していた。そして動物の個体数が何によって制限されているのだろうかという個体群生態学からの問いかけもあった。中でもネズミやシカのような草食獣が爆発的な増加や突然の個体群崩壊を起こすとか、広域で同調的な個体数変動が認められるといった不思議な現象の発見があり、それを制限する要因として気候、食物、そして捕食者などが想定され、その検証が行われた。しかしシカのような大型で寿命の長い動物の個体数変動の要因を解析することは容易ではなく、その変動の中でオオカミがそのような役割を担っているのかについては現在でも意見の一致をみていない。ただ、繁殖力の高い草食獣が捕食者や狩猟の影響から解放されると爆発的な増加を示すことから、捕食者が個体数増加の抑制に一定の働きをもっていることは間違いないと考えられている。このことを示唆する貴重な研究例として、アメリカのスペリオル湖にあるアイル・ロイヤル島での長期観察がある (PetersonandPage, 1988)。この島にはムース(註3)が生息していたが、ここにオオカミが導入された。オオカミの導入後ムースの個体数が減ってオオカミが増加し、その後オオカミが減少し、その結果再びムースが回復するという、いわゆる「食う者—食われる者」(註4)の関係が認められた(挿図7、Peterson et al., 1988)。このように生態系で過剰に増えすぎた草食獣の頭数を抑制するという意味で、オオカミは自然生態系のバランスを保つという重要な役割を担っていると見ることができる。32-7 ミシガン州アイル鴻Cヤル島におけるオオカミとムースの頭数変化(Petersonet.al., 1988)。オオカミと草食獣の関係についての研究は重要な事実を明らかにした。北アメリカでの研究によると、オオカミ1頭が1年間に必要とする肉の猟はムースで5頭から8頭、シカで15頭から18頭と言われている (Keith, 1983)。そしてこれら食料となる草食獣の多いところほどオオカミが多く(挿図8、Fuller1995)、またそのような場所では捕獲効率がよくなるためオオカミの行動圏は狭くなる(挿図9、Fuller1995)。アラスカにおける電波発信器による追跡研究によると、夏から秋にかけてムースが標高の高いところへ移動するのと同調するようにオオカミも高いところへ移動したことから、この上昇はムースを狙っての移動と考えられている(挿図10、Ballard et al.,1987)。オオカミはむやみに獲物を襲うのではなく、狙われるのは幼獣か老齢個体であり、壮齢個体が攻撃されることは少ない。例えばアメリカ、ミネソタ州のオジロジカの場合、ハンターによる射殺個体群はほぼ年齢構成を反映してピラミッド型を示すが、オオカミに捕殺された集団の年齢は仔ジカと高齢個体に多かった(挿図11、FrittsandMech1981)。またアラスカのケナイ半島とミシガン州のアイル・ロイヤル島のムースの場合もオオカミに捕殺された集団はゼロ歳と高齢個体にかたよっていた(挿図12、Ballard et al.,1987)。同様の事実はアラスカのドールシープという野生ヒツジでも知られている(ムーリー1975)。またアラスカのケナイ半島のムースの場合、オオカミの攻撃を受けた個体の蓄積脂肪を調べたところ脂肪量が少なかったことから、オオカミに攻撃されるのは栄養状態の悪い個体であることが判った(挿図13、Ballard et al.,1987)。32-8 北アメリカでのシカの量とオオカミの密度の関係(Fuller, 1989)。32-9 北アメリカでのシカ密度とオオカミの縄張り面積の関係(Fuller, 1989 )。32-10 アラスカのムースとオオカミの季節に伴う標高移動(Ballard et al., 1987)。32-11 ミネソタ州でオオカミに捕殺されたオジロジカ(上)とハンターに狩猟されたオジロジカ(下)の年齢別頭数(Fritts and Mech, 1981)。32-12 アラスカ、ケナイ半島とミシガン州アイル鴻Cヤル島におけるオオカミに捕殺されたムースの年齢別頭数(Ballard et al., 1987)。32-13 アラスカ、ケナイ半島における死亡ムースの骨髄脂肪量と原因別死亡頭数の関係(Ballard et al., 1987)。このような研究の発展により、かつて、血に飢えた残酷な獣とみなされていたオオカミは、実は老齢個体や病弱な個体を襲うことにより、個体群をむしろ健康な状態に保つというプラスの役割を持つ可能性もあるという見方が有力になっている。欧米人が未開と考えていたモンゴルやイヌイットの文化に「オオカミはヒツジの医者だ」という言葉があるのは皮肉なことである。彼らの方が自然を正しく見ていたのである。日本列島は小さいながら極めて多様な自然に恵まれており、哺乳類相は単純とはいえ、シカ、カモシカ、クマ、キツネ、タヌキなどの中大型の哺乳類もいる。しかしクマやキツネはシカやカモシカの有力な捕食者にはなりえず、食物連鎖の頂点にいたオオカミを失ったことの意味は大きい。この意味で、私たちは、オオカミを欠いた現在の日本列島の生態系はバランスを欠いたものになりがちなのだということを心にとめておく必要がある(高槻1992)。ニホンオオカミの研究は残された数少ない標本による分類学、形態学の研究と同時に、生態系の中における捕食者の役割という視点での研究が必要であり、自然保護運動においてもそのような自然の捉え方が必要な時期に来ている(丸山1994a、b)。(高槻成紀)本解説を書く機会を与えられた東京大学総合資料館の大場秀章助教授に感謝します。また、オオカミについて多くの貴重な知見をご教示頂いた東京農工大学の丸山直樹助教授、東京大学保管の剥製標本についてご教示頂いた東京大学農学部林学科森林動物学講座の古田公人教授、同学部獣医学科獣医解剖学講座の林良博教授に深くお礼申し上げます。註1 野生化した動物を feralanimal と呼び、例えばアメリカの feralhorse であるムスタングは家畜化された馬が自然に戻って野生状態で生活するようになったものである。ただし、ムスタングはユーラシア産の野生馬が家畜化されたものであり、正確には自然に戻ったというより、北アメリカという見知らぬ土地の自然に入ったというべきであるが。またニュージーランドは狩猟のために世界中から様々な有蹄類を導入し、そのいくつかは野生化している。註2 豺は学名を Cuonalpinus と呼び、英語ではドール (dhole) と呼ばれる。中国では赤狼(チ−ラン)とも呼ばれ、シベリア南部、アルタイ、アムール、北朝鮮に分布する。体重は10キログラムほどででジャッカルのような動物ある。なお東南アジアにはやや小型で毛の短い近縁種 ( Cuonjavanicus ) が生息する。註3 ムースはヘラジカ ( Alcesalces ) のことで、ヨーロッパではエルクと呼ばれるために混乱がある。体重は200キログラムにもなる現生するシカの中で最大のものである。註4 食う者—食われる者の関係とは捕食者と被食者の関係とのことで、捕食者の生物量は被食者のそれを上回ることはない。捕食者が増加すると被食者の個体数が減少し、その結果、捕食者自身が減少するという関係にあるため、長い時間では両者の個体数が時間差をもった波動としてとらえられる。北アメリカのカンジキウサギとヤマネコとの関係が有名。参考文献今泉吉典、1969、「ナゾに包まれるニホンオオカミ−新しい視野でこの「珍獣」の追及を−」、『科学朝日』1969 (7)、104〜108頁今泉吉典、1970a、「ニホンオオカミの系統的位置について、1、ニホンオオカミの標本」、『哺乳動物学雑誌』5、27〜32頁今泉吉典、1970b、「ニホンオオカミの系統的位置について、2、イヌ属での頭骨における類似関係」、『哺乳動物学雑誌』5、62〜66頁高槻成紀、1992、『北に生きるシカたち』、どうぶつ社、262頁平岩米吉、1992、『狼−その生態と歴史−新装版』、築地書館、308頁D・ベルナール(高橋正男訳)、1991、『狼と人間』、平凡社、286頁丸山直樹、1994a、「動物による森林被害はなぜ起きるのか?」、『林業技術』633、2〜6頁丸山直樹、1994b、「森林脅かすシカの増加」、読売新聞、1994、7、20、論点A・ムーリー(奥崎雅美訳)、1975、『マッキンレー山のオオカミ、上、下』446頁、思索社、(原著、1944)Ballard, W.B., J.S. Whitman and C.L. Gardner, 1987,“Ecology of an exploited wolf population in south-central Alsaka.” Wildl. Monogr., No.98, 54p.Fox, M. W. (ed.), 1975, The Wild Canids, Van Nostrand Reinhold Co., 508p.Fritts, S.H. and L.D. Mech., 1981,“Dynamics, movements, and feeding ecology of a newly protected wolf population in north western Minnesota.” Wildl. Monogr., 80, 79p.Fuller, T.K., 1989,“Population dynamics of wolves in north-central Minnesota.” Wildl. Monogr., No. 105, 41p.Fuller, T.K., 1995, Guidelines for gray wolf management in the Northern Great Lakes Region, Tech, Publ. No.271, International Wolf Center, Ely, Minnesota, USA.Keith, L.B., 1983, Population dynamics of gray wolves. In (ed. Carbyn, L.N.) Wolves in Canada and Alaska: 66-77, Can. Wildl. Serv. Rep. Ser., 45, 135p.Mech, L.D., 1970, The Wolf, Natural History Press, 384p.Mech, L.D., R.E. McRoberts, R.O. Peterson and R.E. Page, 1987,“Relationshipp of deer and moose populations to previous winter'ssnow.” J. Anim. 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Mammal., 69: 89-99.Copyright 1996 the University Museum, the University of Tokyo web-master@um.u-tokyo.ac.jphttps://blog.goo.ne.jp/n4550/e/b0423ae0b40c101971cdb27341df18dcサハリン州のオオカミ サハリンでは、今年春に北部サハリン地域でオオカミが5頭確認されたとの州政府が発表しました。このオオカミ達には、サハリン州政府から駆除命令が出ておりました。しかし、今年夏にサハリン・ユジノサハリンスク市動物園に1頭の仔オオカミ♂が運びこまれました。市の関係者は、サハリン州北部で捕獲されたものと発表しました。未だ5頭のオオカミの行方は不明です。動物園では、以前から飼育されている♀のオオカミと同居させる事になりました。サハリン州では、1940年代にはオオカミがすでに絶滅している事から、新たなオオカミは、冬季間に間宮海峡を渡って来たのではと予測しています。北海道では、1880年代にすでに絶滅しています。新たなオオカミの出現で「サハリン州から宗谷海峡を渡って北海道に来ないか?」と期待している関係者もいます。少しは、エゾ鹿の減少に繋がるか?サハリン→北海道写真・仔オオカミ=提供・日本オオカミ協会オオカミと樺太犬の二世誕生 サハリン便り 2007-10-18 07:03:20 | 樺太犬・サハリン犬昨日の電話によるとオオカミと樺太犬の二世が生まれました。サハリン州北部ネクラソフカ村で樺太犬を飼育しているセルゲイ・リュービフ氏は、今年春・極東大陸に犬ソリで渡り友人が飼っているオオカミ♂と樺太犬♀の交配を行い先月末に見事な二世が誕生しました。母犬も仔犬?も元気でオオカミ犬の誕生でセルゲイ・リュービフ氏も大喜びです。漁業を営むセルゲイ・リュービフ氏は、現在・樺太犬を30頭飼育しています。犬達は、セルゲイ・リュービフ氏の作業を手伝う大切な労働犬です。冬季間は、氷下のコマイ漁などでそりの運搬を担っています。ネクラソフカ村は、今年春にオオカミ5頭が目撃された場所に隣接しています。新たな犬+オオカミの新種に村人たちも驚いているそうです。現地から写真が到着しましたら公開いたします。現在、スタッフはウラジオストックに業務滞在しています。サハリン→北海道写真・ユジノサハリンスク市内の動物園オオカミhttp://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_008.htm山梨県立博物館シンボル展「オオカミがいた山」-消えたニホンオオカミの謎に迫る-平成19年2月6日(火)から3月18日(日)まで。常設展観覧料でご覧になれます。上の写真は笛吹市御坂町のとあるお宅で近年見つかったニホンオオカミ頭骨です。鼻の部分を中心に、皮と肉がミイラ化して残っている、珍しい標本です。新聞等で話題になったので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。シンボル展では、この標本を中心に、近県で見つかったオオカミ頭骨や、貴重なニホンオオカミ剥製、オオカミ信仰に関わる資料などを集め、ニホンオオカミの謎や山梨における人とオオカミの関わりに迫ってみたいと思います。オオカミが山梨の野山を駆けめぐっていた頃に思いをはせてみてください。準備のための調査結果をこの場で順次お伝えしていきますので、ご期待ください。また、ニホンオオカミに関する資料や言い伝えをご存知の方は情報をお寄せいただければ幸いです。なお、調査中のため、ここで記載する内容が最終的な展示とは異なる場合もありますので、ご了承ください。文責:植月(当館学芸員)2020-10-24-japanese-dog-height-wolf-height-kishu-height-