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テーマ:城跡めぐり(1250)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
久々の城めぐりは、以前も書いたことのある江戸城です。
大手門の前には「大手濠」が横たわっており、大手門以外から入城するのはまず無理だと、改めて感じました。 その大手濠の向こう側には、威風堂々とした大手門が見えています。 江戸城大手門。 手前に表門があり、表門を入った右側に大手門があります。 表門をくぐると、中は「枡形虎口」になっており、櫓門形式の大手門が右側にあります。 大手門の櫓門。 威圧するように立ちはだかっていました。 その枡形虎口内部から表門を振り返ると、高麗門形式になっているのがわかります。 さらに枡形虎口の土塀には、「狭間(ざま)」が切ってありました。 鉄砲狭間だと思われますが、実は狭間がある土塀の外側は水堀が広がっています。 水堀を渡って侵入しようとする人はいないと思うのですが、相当な念の入れようでした。 大手門は空襲で焼失してしまっており、現在の門は昭和42年に復元されたものです。 ちなみに江戸城の入城は無料ですが、大手門の先に窓口があり、ここで入園票を渡されます。 帰りはどの門から出てもいいのですが、出口でこの入園票を返さなければなりません。 大手の櫓門をくぐった後は、左へ向きを変えさせられる縄張りとなっており、三ノ丸を右に見ながら進んで行きました。 現在三ノ丸には「尚蔵館」が建てられ、皇室ゆかりの美術品などが展示されています。 また三ノ丸の奥には二ノ丸があり、小堀遠州の回遊式庭園が復元されています。 (大手筋からはよく見ることができません) その先には、大手三之門跡の大きな石垣が見えているのですが、石垣の手前に「同心番所」があります。 同心番所(現存)。 江戸城には番所が三ヶ所あるのですが、最初にあるのが同心番所です。 江戸城に入城する人は、まずここで警備のチェックを受けていました。 そして同心番所の先にあるのが、先程見えていた「大手三之門」跡の大きな石垣です。 「切込み接ぎ」で積まれた石垣は、1つ1つの積み石が大きく、まさに威圧するような感じです。 同心番所と大きな石垣の門を通過したかと思えば、右側にはさらに石垣が続いていました。 右側に続く石垣が本丸の石垣です。 石垣に圧倒されていると、左側には2つ目の番所、「百人番所」があります。 百人番所(現存) 江戸城最大の番所で、当時は昼夜を問わず、その名の通り100人が詰めて警護に当たっていました。 江戸城を攻めようなどと思わず、この辺りで引き返した方が身のためだったことでしょう。 百人番所を過ぎると、右側には遠くに見えていた本丸の石垣が近くなり、来る人を威圧するかのように切り立っていました。 積み方は基本的には「切込み接ぎ」なのですが、途中で「打込み接ぎ」に変わっていたりします。 打込み接ぎの石垣。 天下普請の時、「切込み接ぎ」を積めなかった武将が担当したのでしょうか、それとも頑固者であくまでも「打込み接ぎ」にこだわったのでしょうか。 いずれにしても、このあたりが天下普請で造られた城の面白いところかも知れません。 石垣ばかり見ていると、最後の番所である「大番所」が現れました。 大番所(現存) 下から「同心番所」→「百人番所」→「大番所」と来ましたが、警護する武士の位もこの順番に高くなっていたそうです。 大番所を過ぎると「中雀門」の跡があり、ようやくここが本丸の虎口です。 しかし真っ直ぐ本丸には入らせてもらえず、中雀門で大きくUターンするような縄張りです。 本丸側から見た中雀門。枡形が残っており、門の礎石も残っていました。 大手門から本丸までは、直線にすると大した距離ではありません。 そこは天下の江戸城、すぐに本丸には入らせてもらえませんでした。 これがグーグルアースで見た江戸城の縄張りです。 この後本丸から汐見坂、さらに平川門と抜けて行ったので、次回ご紹介したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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