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テーマ:城跡めぐり(1252)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
大きくUターンすように中雀門を通ると、目の前に本丸が広がっていました。
![]() 天守台ははるか遠くに見えますが、当時はここ全体に本丸御殿が建っていました。 本丸御殿は残っていませんが、浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ「松の廊下」の跡には、小さな碑が立っています。 ![]() 当時はこんな感じだったようです。 ![]() 江戸城松の廊下の復元模型。(江戸東京博物館) そして本丸の北西隅にあるのが、天守台です。 ![]() 天守は3回築かれ、1638年に現在の位置に造られました。 5層6階の天守だったのですが、1657年に明暦の大火で焼失しています。 天守台の中央部が黒く焦げていますが、これは明暦の大火の焼け跡です。 当時の江戸城の絵図が、江戸東京博物館に展示してありました。 ![]() 5層の下見板張りの天守が建っているのがわかります。 明暦の大火で焼失した後、天守は再建されずに、本丸南西にある「富士見櫓」が天守の代用とされました。 ![]() 富士見櫓。(本丸内から見たところ) 正面から見たいのですが、皇居の中に入らないと見ることができません。 (一般参賀に行くと見られるかも知れません) 写真で見ると、天守に匹敵するような外観でした。 江戸城の天守が再建されなかったことで、各地の諸大名も天守の築造を遠慮したと言われていますが、これも天守の築造が極端に少なくなった要因の1つかと思います。 周りに高層ビルが立ち並ぶ中、江戸城だけポッカリと大きな空間ができたような感じで、空が一面に広がっていました。 本丸を後にして二ノ丸の方へ下りて行きましたが、その間には「汐見坂」と呼ばれる門がありました。 ![]() 汐見坂の石垣。当時は新橋あたりまで日比谷入江の海があり、その名の通りここから海が見えたそうです。 その汐見坂の石垣は非常に興味深い造りになっていました。 ![]() 左側が野面(のづら)積みで、右側が切込み接ぎです。 これも天下普請の名残でしょうか。 汐見坂からは二ノ丸を見渡すことができます。 ![]() 二ノ丸には小堀遠州の回遊式庭園が復元されているそうです。(今回は行っておりません) 汐見坂の南側の本丸と二ノ丸の間には、「白鳥濠」が残っていました。 ![]() 本丸石垣の「横矢掛かり」が見事です。 汐見坂の北側には、本丸の高石垣がずっと続いており、江戸城本丸の見どころの1つかも知れません。 ![]() ここは切込み接ぎで積まれた石垣が、整然と並んでいます。 ![]() 積み石をよく見ると、ミシン目のような「矢穴」が残っています。 他にも矢穴の跡がいくつか残っていました。 ![]() 矢穴。積み石を切るときは、このミシン目にクサビを入れて割っていました。 おそらくこれら積み石は割れず、そのまま使われたのだと思います。 本丸だけでもこれだけの石が使われており、「天下普請恐るべし」って感じでした。 この後は平川門から出て、右回りに内堀を回って行きました。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/10/16 08:30:55 PM
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