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テーマ:城跡めぐり(1239)
カテゴリ:城跡と史跡(埼玉編)
建造物に「気の毒」という形容詞は当てはまらないかと思いますが、騎西城だけは気の毒なお城です。
現在城郭の跡は住宅地になっており、わずかに土塁が残っているだけです。 天神曲輪の土塁 その天神曲輪の跡には模擬天守(御三階櫓)がありましたが、元々天守があったかどうかは不明です。 江戸時代の縄張り図を見ると、なかなかの城構えだったようです。 縄張り図 気の毒なことに、今となっては見る影もなくなってしましました。 しかしながら本当に気の毒なのは、騎西城の歴史です。 騎西城の築城時期については明らかになっていませんが、戦国時代には小田原の北条氏の支配下にあったようです。 1563年に北条氏康・武田信玄が武蔵松山城を攻めた時、上杉謙信が武蔵松山城の救援に駆けつけたのですが、あと少しのところで間に合わず、武蔵松山城は落城してしまいました。 そこで上杉謙信がとった行動は、腹いせに近くの北条方の城を1つ攻め落とすことでした。 そして見事に白羽の矢が立ったのが、この騎西城です。 とんだとばっちりもいいところですが、上杉謙信軍に攻められてはひとたまりもなく、あっさりと騎西城は落城してしまいました。 やはり今も昔も、気の毒な城というより他はありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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