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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2010/01/27
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カテゴリ:東海道五十三次
島田宿から大井川を渡ると、金谷宿に入って行きます。
島田宿も金谷宿も同じ静岡県島田市にあるのですが、大井川を挟んで島田宿は駿河、金谷宿は遠江にあり、金谷宿は遠州最初の宿場町となります。

金谷宿旧街道.JPG
金谷宿の旧街道

本陣は大井川に近い東よりにあったようで、現在は書店に変わっていました。
金谷宿佐塚本陣跡.JPG
金谷宿の佐塚本陣跡
(それでも屋号は同じです)

金谷宿を通る東海道は短くて、本陣があったかと思うとすぐに上方の入口跡に着きました。
金谷宿西入口土橋.JPG
江戸時代には「西入口土橋」や「金谷大橋」と呼ばれ、長さ10mの土橋が架かっていたそうです。


ようやく大井川の難所を渡り終えたかと思うと、今度は「金谷坂」の急坂が待ち構えています。
金谷宿金谷坂.JPG
牧之原台地へと続く金谷坂

金谷坂の旧街道では、一部石畳が復元されていました。
金谷宿金谷坂石畳.JPG
「平成の道普請」で築かれた石畳です。


東海道からは少し外れますが、牧之原台地の上には「牧之原公園」があり、眼下に大井川を眺めることができます。
金谷宿牧之原公園より駿河湾.JPG
大井川と駿河湾(まだ遠州灘ではなさそうです)

大井川の上流部に目を向けると、南アルプスの連山が白く見えていました。
金谷宿牧之原公園より大井川.JPG


再び東海道に戻って金谷坂の石畳を登り切ると、今度は一面の茶畑の中を行くようになりました。
金谷宿旧街道2.JPG
ふと「あら?見覚えがあるな…」と思っていたら、このまま諏訪原城へと続いていました。

諏訪原城は築城の名手馬場信春によって築城され、武田流築城術の三日月堀などが随所に残っています。(一見の価値がある名城です)
諏訪原城の記事(2009年6月)→こちら

諏訪原城を訪れた時は全く知らなかったのですが、目の前の細い道が実は旧東海道でした。


諏訪原城を通り越してしばらく行くと、今度は菊川へと下る坂道となりました。
金谷宿石畳.JPG
こちらも石畳が復元されています。
やはり「平成の道普請」で復元されたものですが、旧街道で石畳が残っているのは、中仙道の十曲峠、東海道の箱根峠と金谷坂だけだそうです。


金谷宿から次の日坂宿までの間はアップダウンの激しい難所が続くため、宿場町の間の菊川に「間の宿」が置かれていました。
金谷宿間の宿菊川旧街道.JPG
間の宿「菊川」の旧街道
当時は旅籠屋がずらりと並んでいたそうです。

1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府追討の院宣を出した「承久の乱」の時、上皇側について捕らえられた藤原宗行は、鎌倉へ護送される途中で菊川宿に泊まりました。

さらには1324年の後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕計画「正中の変」では、後醍醐天皇方について捕らえられた日野俊基が、やはり鎌倉へ護送される途中に菊川宿に泊まっています。

鎌倉へ護送される途中で死期を覚った藤原宗行は菊川宿に詩を書き残し、日野俊基は藤原宗行を追悼して歌を書き残しています。
金谷宿間の宿菊川日野俊基歌碑.JPG
「昔は南陽県の菊水下流を汲みて歳を延ぶ
今は東海道の菊川西岸に宿りて命を失う」(藤原宗行)
「いにしへも かかるためしを 菊川の 同じ流れに 身をやしづめん」(日野俊基)

同じ無念の思いを残したのが菊川宿とは、何とも言えない運命を感じますが、藤原宗行の110年後、そして日野俊基の9年後、足利尊氏や新田義貞、楠木正成たちの活躍により、鎌倉幕府は滅亡しています。


関連の記事
東海道~島田宿→こちら
東海道~日坂宿→こちら
諏訪原城(2009年6月)→こちら





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最終更新日  2022/03/09 10:53:20 AM
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