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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
台東区の名所江戸百景めぐりの中で、どうも判然としなかった場所があります。
歌川広重「名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま」 「蓑輪」は日比谷線の三ノ輪で現在も地名が残っており、「金杉」の地名は残っていないものの金杉通りの名前があり、さらに「三河しま」は常磐線の駅名にある三河島のことだと思われます。 三ノ輪方面から見た三河島方面ということになりますが、現在の行政区分では台東区から荒川区にかけての広範囲ということになります。 歌川広重の構図を見る限りでは、鶴が舞い降りるほどの長閑な田園風景が広がっている感じですが、幕末の江戸時代の地図で見ても、三ノ輪から三河島にかけては田園が広がっていたようです。 グーグルアースで見た1858年の三ノ輪界隈 吉原と山谷堀も描かれています 三ノ輪駅付近 国道4号線(旧日光街道)に金杉通りが合流し、さらに国際通りや明治通りが交差する複雑な道路です。 金杉通りは国道4号線と並走するような格好になっていますが、昔は「奥州街道裏道」とも呼ばれていたようです。 金杉通りと国道4号線の合流点 吉原の日本堤を通って三ノ輪から隅田川に続く山谷堀も、その跡がわずかに残っていました。 三ノ輪付近の山谷堀 その山谷堀沿いにあるのが浄閑寺、別名「投込寺」とも呼ばれています。 浄閑寺 1855年の安政の大地震の時、吉原の遊女が多く投げ込まれたことに由来するそうです。 寛保3年(1743年)から大正15年(1926年)までの、遊女や子供の過去帳が残っているようで、新吉原の総霊塔が建てられています。 華やかなし文化の中心地であった吉原でしたが、悲しく暗い過去の一面もしっかりと刻まれていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/07/18 11:24:21 AM
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