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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ社長1952

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2014年09月24日
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フィリピンで仕事していて、教師やスタッフが空き時間に皆夢中で携帯をいじっているのを毎日見ている。昔、携帯がなかったころはどうやって空き時間を過ごしていたのか想像がつかなくなっている。僅か数年で、人間の行動様式がここまで変化するとは。

それでも、この国はおしゃべりが大好きで陽気な人が多いから救いはある。いつも笑いが絶えない。どんなに貧しくてもそれを気にしないで明るくやっていく人が本当にたくさんだ。

日本はどうなのだろうか。他人と面と向かってのコミュニケーションができないか、非常に難しい人が増えてきている。特に若い人にそういう人が多くなってきているらしい。コンピューターゲームなどでには集中するエネルギーはあるのに。

オランダ系の連れ合いがTARGET Global English Academyに来てから2週間がたった。この私たちがやっているセブの英語学校には、毎週のように新しい学生さんが入ってこられる。短い人は、会社の休みを利用して来られるからほんの1、2週間の学習となる。

そんな中、全くといっていいほど笑顔が出てこない人がいる。いつも真顔だ。ジョークを言っても真顔だ。そんな人を見ると、連れ合いは大きな声で「Smile !!!!」と叫んでいる。私が言っても始らないが、オーストラリア人の連れ合いが言うと非常に効果がある。もっとも、連れ合い自身が笑顔全開の人だからということもある。オーストラリア人でも真顔が多い人も当然いる。

この連れ合いがいるだけで、学校の雰囲気が変わってくる。できるなら、こちらにずっといて欲しいと願ったりもしている。もっとも、24時間一緒だと、ついつい自分のスペースが欲しくもなってくるが、、、。人生は、何事もいろいろなバランスだ。調整を取りながらやっていくのがいいようだ。

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Last updated  2014年09月24日 11時21分09秒
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2014年09月04日
テーマ:海外生活(7142)
私の62年の人生の中で、絶対に物を捨てない人に2人出会ってきた。1人は、3年前に88歳で他界した元警察官の父。何でも捨てずにため込んでおく。他界してから、残された物の処理が大変だった。

因みに、中学生の頃だったか拾ってきたエロ写真本をゴミ箱に捨ててしまったことがあった。父にえらく怒られた。しばらくして様子をみていると、父が風呂焚きに一枚一枚検閲しながらくべているのが見えた。さすが警察官、律義な性格だったことを覚えている。

もう一人は、今私が滞在しているセブに間もなくやってくるオランダ系の連れ合いだ。薄汚れた服、壊れた電気製品でも私が捨てようとすると止められる。お蔭で、物置はこれらでいっぱいだ。

オーストラリア、メルボルンには28年住んでいるが、半年に1度粗大ごみの収拾がある。先日、連れ合いから写真が送られてきて愕然とした。私が、今まで捨てられずにとっておいた物が、見事に外に陳列されているではないか。

「あなたがやったら絶対にダメだというわ。だから、私がやったのよ。」
連れ合いの心境に大きな変化が起きたようだ。何かあったのだろうか。それとも私も一緒の運命にある、ということの暗示だろうか。

来週、1か月の予定で連れ合いがセブにやって来る。何か言い渡されるのかと戦々恐々としている毎日である、、、、、


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Last updated  2014年09月04日 19時07分18秒
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2014年08月06日
カテゴリ:タコ社長の日常
瞬間湯沸かし器と揶揄されるほど短気で生きてきている。年を取れば少しはよくなるのかと思っていたが、期待外れに終わっている。家系だからなのだろうが、決して良しとはしてない。

いろいろと改善策を実施している。笑いながらは怒れない、ということを聞いてやってみたが、これは結構あたっている。だが、いつも笑っている必要がある。何か、嫌な物事に直面したときまず笑わないとならない。結構な技術が必要だろう。また、いつも笑っていると何かと勘違いされることもある。恋してるんでしょう、なんて言われてドキッとしてしまうこともある。

「スキップするといいですよ。スキップしながらは怒れません。」
早朝ウォーキングで時々スキップする。確かに楽しい気分になれる。幼稚園の頃、一緒にスキップしていた真理子ちゃんなんかも思い出す。但し、これは会社などでは、社長気がふれた?状態になってしまって二の足を踏みそうだ。実は、メルボルン、東村山、セブでの早朝ウォーキングにスキップを入れるのはやや勇気もいるがやっている。あまり想像しないでほしいが。

8月1日から今年3度目の長期出張でセブ入りしている。この国の人は笑顔がいい。裕福な人より貧しい人たちの方がよく笑っているようにも見える。いつも通る道で、いつ行っても小さな子供をだっこしてあやしている30歳くらいのお父さんがいる。朝でも夕方でもそうやってあやしている。親子のスキンシップ度はこの国は世界のトップレベルではないだろうか。そしていつもこのお父さん笑顔だ。小さな子供が多い環境では、自然と子供と一緒に笑顔になれるのかもしれない。何しろ、子供の数が半端じゃない。

そう思ってセブで回りを見まわしてみると、職場では圧倒的に20代の女性が多く、一歩外へ出ると子供たちの明るい笑い声がいたる所から聞こえてくる。

私は子がない、というとあるフィリピン人のスタッフが、自分たちを皆子供のように思えばいい、と言ってきた。いきなり80人の子供ができてしまった。大いに笑える環境に身を置いているようではある。とすると、私はこれから、壊れた瞬間湯沸かし器とか言われる日がくるのかもしれないと期待できそうだ。

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Last updated  2014年08月06日 16時13分53秒
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2014年06月29日
カテゴリ:問題提起
垂れてよくないものは、洟でも長い口上でも、はたまたヒップでも、枚挙に暇がない。

日本で一番垂れているのはと思って見回してみると、どうやら口角のようだ。特に中高年男性の口角は大きく「へ」の字に垂れている。簡単に言えば、日本では怖い顔をして歩いている人がとても多いということ。ヒップの垂れなどは、まあまあ我慢ができるとしてこの口角はなんとかならんものだろうか。

ところが、重力の法則だろうか放っておくと口角もどんどん垂れてくるようだ。無理をしてあげる筋肉運動をしないとならない。一番いいのは常に笑っていることだが、街中で続けていると勘違いされること間違いない。

「このやろう!」と思わず言ってしまいたくなった。池袋駅の地下街で、思いっきり私の前を横切ってバックをあてて歩き去った中年の女性がいた。地下街はストレス満載の活気のある所。これじゃ、笑ってなどいられない。それでも、「口角」「口角」と独り言ちしながら歩いた。笑顔ではなく、モナリザの微笑み程度で。これもこれで、ちと薄気味悪いかもしれないが、、、、。

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Last updated  2014年06月29日 09時51分27秒
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2014年06月09日
テーマ:海外生活(7142)
カテゴリ:移住模索期

朝のテレビのワイドショーをよく母と一緒に見た。33歳でオーストラリアに永住権を求め
て1985年6月に両親の住む東村山を後にした。1年以上オーストラリアのメルボルンに滞在し、やっとのこと永住権を申請することができ、日本に帰って結果を待っている半年間の間のことだった。

宮尾すすむさんの「ああ日本の社長」という番組は二人の好きな番組でもあった。ビックカメラの社長の話しなど、今も覚えている。

「大学まで出て、そこそこの会社に入って、辞めてお母さんと朝からテレビ見てるって、どっかおかしいと思わないかね。」可なり応えた母の一言だった。

この社長シリーズでは、若いころにいろいろ苦労して社長になった方々の話が多かったように思う。宮尾さんの語り可笑しくて二人で笑い転げながらも、私は、この時は心から笑うことはできないでいた。

「悔しかったら、お前もああなってお母さんを安心させてよ。」
オーストラリアに行って、まずカフェで皿洗いをした。そして、日本食レストランでも皿洗いをした。テレビで見た、皿洗いから始めて社長になった人たちのことを思い出した。しかし、皿洗いをしていて皆が社長になれるなら、それこそ世の中社長だらけになる。

日本食レストランでは粉にまみれて天ぷらも揚げていたが、どうにもカラッと揚がらない。180度の温度調節が難しい。ベテランのシェフに、目の前で私が揚げた天ぷらを全部捨てられたこともあった。慣れない包丁で指を切った。料理なんか小学校の家庭科の授業以来ほとんどしたことがなかった私が、日本食レストランで働いている。

だが、こうしたすったもんだの甲斐あって、なんとか永住権を取得して1987年3月に再びオーストラリア入りした。

永住してから、すぐ金髪女性と結婚して数年で別れた。その別れた妻の母親に、「あんた、日本に帰った方がいいよ。」と静かに言い切られ、顔から血がすっと引いて上げられなかった。脛は傷だらけで、人の脛も借りないとならない人生だった。しかし、この時日本に帰るわけには絶対にいかなかった。

私は、基本的には飽きっぽい人間だが、その中でしつこく追い求めてきたものがいくつかあって、それらに関しては絶対に諦めないで今に至っている。

今月の23日に、88歳になる母が1人で住む日本の東村山に一時帰国する。

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Last updated  2014年06月09日 20時03分27秒
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2014年03月28日
テーマ:海外生活(7142)
カテゴリ:移住模索期
ギリシャの大富豪、オナシスが言ったという。
「どんなに小さくて貧弱な家でも、名の知れた有名な地域に住め。」
どちらかというと富豪に弱い私、メルボルンの田園調布と言われているトゥーラックに住むことにした。ある日、歩いていたら30分間に5台のロールスロイスを見た。人が金持ちなのを自慢しても何も始まらないが。

家具付きの一部屋のスタジオタイプで、当時週75ドルだった。隣の部屋には、日本人のワーホリの男女4人が済んでいた。さすがに、そこまではできなかった。1985年10月のことだった。

ある朝カーテンを開けると、大きな窓ガラスに黄色い卵の線が太く何本も流れている。小さな殻なんかもひっついていて、朝日に当たって綺麗だ、なんて思ったわけではないが、一瞬、何があったのか飲みこめなかった。投げられて間も無かったら、ちょっときれいに取って、朝食の生卵ぶっかけご飯とかに利用できたのだが、残念ながら固まっていた。拭き取るのが大変だった。トマトなんかにしてくれれば、どんなによかったことか。友人を呼んで夜中に騒いだのが原因だったのだろうか。

それから少しして外出から帰ると、住人用の小さな郵便ポストに貼り紙がしてあった。住人の多くが目にしていたことは想像に難くない。
「8号室のこの男、次から次へと女を連れ込んでいる酷い奴だ。」
褒められているのではないことは分かった。確かに、火のない所になんとやらではあろう。お付き合いさせていただいていた方もいて、部屋ですき焼きなどをご馳走したこともある。しかし、ここまで来ると逆恨みといってもいい。

そうこうしている内に、今度は泥棒に入られた。小銭と、大切な方からいただいた腕時計
をやられた。私服の警官が1人で来て5分ほどいて帰っていった。その潔さを、実家の東村山に住んでいた、警察官の父に報告したいくらいだった。殺人でも犯さないと、まともに扱ってもらえないのだろうか。富豪のいう事なんか聞いてろくな事はない。

このアパートから、毎日歩いて片道30分ある日本食レストランまで通っていた。そこで、あるアルバイトをしていた。トラムと呼ばれる路面電車に乗って行くこともあった。ある日、その停留所で待っていたら、車が止まって日本語で乗らないかと言われた。小柄で細面の中年日本人女性だった。
「ワーホリ?大変ね、日本人だと思うとすぐ載せたくなっちゃうの。頑張ってね。」
10分ほどのドライブだったが、不思議と胸が熱くなった。昔、いろいろ苦労して長く住んでいる方だったのだろうか。

あれから28年になるが、卵による被害はあのときだけだった。もっとも、あのアパートの上の住人、人種差別とかではなく唯単に嫌がらせが好きな方だったのだろうが。

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Last updated  2014年03月28日 14時01分34秒
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2014年03月23日
テーマ:海外生活(7142)
カテゴリ:タコ社長の日常
フィリピンという国に関わるようになって2年以上になる。フィリピン人が少し分かってきたような気もしている。この国も、義理と人情の親分子分の情で動く、などと物の本で読むと、なるほどそうなのかとも思えてくる。

しかし、この国は300年以上スペインの植民地化にあり、その後アメリカ、そして日本に占領されていた国だ。そんなに長い年月、言いようのない抑圧の下にあった国の国民が、そう簡単に分かるなんて思う方がおかしい。分かり易いようで、その実複雑な心を持った人々のようだ。日本人が分かったなどというご仁にろくな人がいないことも多い。この国の国民だってそうだろう。表面的な理解では足元が覚束なくなる。

今、若い人の起業ブームが東南アジアでセンセーショナルに取り上げられ、私も大いに鼓舞したい気持ちでいるし、そうしている。今、海外に目が向いているのは、日本という国に閉塞感が渦巻いていることもその一つの理由だろう。しかし、その国をそしてその国の人々をしっかりと理解する、少なくともそういう姿勢を持った形で進出しないと、とんでもない結果にもなりかねない、と私自身にも言い聞かせている。

今回、不可解なことに多く遭遇している。決してネガティブな気持ちはなく、必ず解決していけると確信はしているが。事業自体は本当にいい調子に展開しているので、誰もが通る道という立ち位置で向かっている。

昔、サラリーマン時代にオーストラリアに出張したことがあった。担当のパプアニューギニアに行く前に立ち寄ったのだ。因みに、パプアニューギニアでは、ポートモレスビーから小型セスナで3時間飛んで鉱山のある山奥へ行き、鼻に骨を刺してペニスサックをしている原住民の方に挨拶され、お土産にそのサックを頂きたいと思ったが、使用に自信がないので止めたという想い出がある。

「君ね、その国を知ろうと思ったらね、まずその国の女性と付き合ってみることだよ。そんなこともしないで、でかいこと抜かしている奴は信用できないね。」
支店長に言われた。唖然とする発言、その時は聞き流している術しかなかったが、、、、

フィリピン、あまりに遅れてきた還暦過ぎ男、という身分をわきまえて心してやっていきたい。

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Last updated  2014年03月23日 12時42分56秒
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2014年02月26日
カテゴリ:移住模索期
まずこの国、オーストラリアをみてやろうと思った。バスの一カ月乗り放題パスを購入、メルボルン、アデレード、エアーズロック、ダーウィン、ケアンズ、ゴールドコースト、ブリスベンそしてシドニーと回った。ちょうど、地図でいうとオーストラリアの右半分だった。都合、バス中5泊となり、最後には揺れてないと眠れぬほどになっていた。まず、デカイ国だと体全体で感じることができた。1985年の7月のことだった。

「私も、こんなサングラスが欲しいわ。」
豊満な体に黒い小さなビキニで泳いでいた白人金髪女性とこうして会話が始まった。ダーウィンで投宿していたユースには、小さいけどきれいなひょうたん型のプールがあった。7月のダーウィンは、どこにも遠慮せずに最高の気候だといえる。オーストラリアは真冬だが、北のダーウィンではカラッとした夏の天気で十分泳げる。

私は昔から顔が広いというよりデカイと言われて育った。来る前に赤坂で買った度でかいサングラスが役に立った。
「日本から来て、今、旅をしているんです。」
私は、ややぎこちなく言った。
「私、ジェニーっていうの、ゴールドコーストから出稼ぎに来てるのよ。」
会話はジェニーの屈託ない性格に助けられるように進んでいった。幸い、プールには他に人がいなく、余計なことに気を回さなくていい環境があった。彼女の声はやや太く低くプールの中に響いた。

「どう、今夜カジノに行かない?」
そうか、ダーウィンにはカジノがあるんだ。ちょっとした会話の後彼女が言い出した。当時は、メルボルンにはカジノがなく、行くとしたら初めての経験になる。賭け事はというと、日本でのパチンコ以来という地味な人生を歩んできていたから、カジノ行きには興味がそそられた。旅行中にちょっと気取った所に行かないとも限らないということで、バックパックに紺のジャケット を綺麗にたたんで入れていた。いよいよその出番だ。綺麗にたたんでいても、やはりバックパック、皺伸ばしに十分苦労した。

カジノには歩いて出かけた。ジェニーは黒く体にフィットした水泳選手のような一体式のワンピース姿で身を包んで、ピンク色の薄手のカーディガンを羽織っていた。どっから見てもものすごく目立つ!そして隣にはジャケット姿のでかい元相撲取りのような東洋人。見るなといっても無理にでも見てしまいたくなるカップルだ。歩いていて視線が気になる。

カジノの中に入ってみて驚いた。ジャケットなんか着けている人は1人もいなかった。みんな、半ズボンにスニーカーみたいな人ばかりで、まるで成金のアジア人のようで、私はすぐにジャケットを脱いで肩にかけて中を歩いた。まったく何から何までカジュアルなダーウィンだった。というより、オーストラリアが基本的にカジュアルな国なのだ。金もないので賭けごとはせずにバーで飲み始めた。

「昔、私はストリッパーだったの。」
もったいなくて、聞き直したりしない。しっかり聞こえた。酔いが一気に回りそうな目まいを感じた。こういう時は、絶対に顔以外を見たりしてはいけない。そういう機転だけは昔からよくきく。

ジェニーはハイボールのグラスを回しながら話を続けた。
「でも、今はこう見えても、いっぱしの写真家なのよ。結構厳しい競争社会だし、出遅れているので大変だけど頑張ってるわ。」
ジェニーは、写真で生計を立てていて、その仕事でダーウィンに出稼ぎに来ていたのだ。若作りだけど、おそらく40歳に手が届きそうな年なのだろう。きっとストリッパーでは食べていけなくなったのだろう、などと余計なことまで推し量ろうとした。それにしても、いつまで見ていても見飽きない人だ。美人は3日で飽きるという言葉を返上したくなる。

私は、オーストラリア入りしてから、毎日家計簿を付けて節約していた。カジノにいても人が賭けているのを見ているだけだった。ジェニーも、お金はなさそうだった。しばらくブラブラして、真っ暗な道を歩いて帰ることにした。彼女は、途中から黒いサンダルを脱いで裸足になってその両方のサンダルを肩からかけるようにして気だるく歩いていた。昔、こういうシーンを映画で見たような気がした。仕草が絵になる人だ。

ジェニーと私は、あまり会話はないが、生温かい夜の空気に吹かれながら私の気持ちは浮きっぱなしだった。やっとユースに戻った。午後泳いだプールが、誘うように月の明かりを受けながらも黒く小刻みに揺れていた。

「良かったら部屋でいっぱい飲む?ビールくらいしかないけど。」
「OK」
平静を装った。酔ってない筈なのに、のぼせて胸がドキドキする。二階の奥の彼女の部屋までの距離がやけに長く感じた。

部屋に明かりが付いている。ドアを開けるとTVの音がした。中に入った。
「これスティーブ。」
はち切れるような白いショートパンツ姿で上半身裸の50絡みの男が、ラッパ飲みしていたビールを置いて席も立たずに真顔で私に握手の手を伸ばして、手がひん曲がるほどの力を込めて私に握手した、、、、

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Last updated  2014年02月26日 07時30分19秒
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2014年02月24日
カテゴリ:日々雑感
「日本では、だいたい長男が両親の面倒をみることになっています。でも今は次男とかでもよくなっています。」
高校生の頃だったか、アメリカ人にそうやや自慢気に日本の親子関係の深さを説明をしたことがあった。

アメリカは、両親が年をとると老人ホームに入るのが普通だときいて、なんと冷めた親子関係なんだろうと思った。子供が親の面倒をみるのは当たり前だと考えていた。

「えっ?88歳のお母さん、一人で住んでいるんですか。」
先日、今仕事をしているフィリピンで、フィリピン人の人がビックリして大声をダ出した。私の母が、東京の東村山で一人で住んでいると言ったときのことだった。フィリピンは大家族制だ。子供が親や親戚の面倒をみるのは当たり前の社会で、むしろ積極的に面倒をみているようにみえる。貧しいながらも皆家族のために働いている。

日本も昔はそうだったんだと言おうとして止めた。これが人類の歴史の流れなのかも知れない。富が増え、核家族が主流となって、親が子供と住まなくなる。そんな社会がフィリピンにもやがて来るのだろうか。日本では、親の方から別々に住みたいという選択もあるだろう。親が長生きになり、面倒をみる年月が長期化して難しくなっていることもある。

先日母に電話した。
「すごい大雪でね、買い物に行けないのよ、、、、、」

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Last updated  2014年02月24日 10時15分23秒
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2014年01月16日
テーマ:海外生活(7142)
カテゴリ:問題提起
日本に里帰りしている。1月の帰国は久しぶりだ。

今、オーストラリア、日本、フィリピンの三カ国で生きている。いろいろ観察していると面白いことが多い。

知らない人と道で会ったときの対応。
1. フィリピンでは見つめ合ったり挨拶したりすることが多い。
2. オーストラリアでは、目が合ったら一瞬でそらすか、そのまま挨拶したりする。知らない金髪女性にニコッと挨拶されたりでもしたら、発情したりはしないがその日一日がほのぼのとした気持ちになる。
3. 日本は、目も顔も会わさないし、知らない人に挨拶することはほとんどない。田舎に行くと別かもしれないが。

日本には、眼をつけるとかいう言葉もあるし、平民は大名行列中頭を上げてはいけない時代もあった。そういう文化の中で育った習慣だ。しかし、見ていない訳ではなく、しっかりと見てはいる。

ところで、日本人は進化しているようだ。ありとあらゆる人がスマホを使いながら歩いているが、顔を上げずにその反対方向から来た人同士が、そのままお互いをよけながら歩き去ったのを目撃した。素晴らしい技術だ。やはり日本人の技術適応能力はすごいものがある。そして益々、face to face のコミュニケーションを図らずに「下を向いて歩こう」人間が増殖している。

私たちがネアンデルタール人だとしたら、クロマニヨン人にはアッという間に撲滅されてしまうのは間違いない。そういう時代がやってくるような気がする。


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