小平市に見る「住民投票」の取り扱い方と「代議制民主主義」の行く末
それにしても昨日の「ハシモト」氏の外国特派員協会での会見は「あれあれ?」という感じだ。 今朝のテレビ朝日「モーニングバード」や日テレ「スッキリ」では発端となった5月13日の発言と昨日の会見での発言を詳細に比較していたが、要するにハシモト氏の考えのベースは、当時の状況からすれば、「必要」だったという当時の「政治権力」の判断を容認する、ということのようだ。 同時に、他の国の軍隊でもそういう「慰安婦」的なものはあって、そのことをきちんと検証せずに日本のことだけを論うのはおかしい、ということも言っている。 そして改めて「国家の意思として強制連行したと裏付ける証拠はない」とも発言したようだ。 この人の感覚は「国家」や「政治」と「刑事被告人」をごちゃごちゃにしているようだ。 確かに「刑事被告人」には「疑わしきは罰せず」の大原則があるし憲法31条に基づく「罪刑法定主義」に則り客観的「証拠」が必要なのは明らかだ。 だが、それが国家権力となると「ハシモト」氏の言う「証拠」がないから「事実」と異なるという主張が「政治」的に意味があるものとは到底思えない。 盛んに「過去」と言っているが、例えば500年前の「戦国時代」の出来事を現代の常識に照らして「間違っている」と言っているわけではない。ほんの70年ほど前で、その経験者が存命であるという現実は、「歴史上の出来事」には絶対に成り得ない。 政治的には「証拠」があるかどうかは関係ない。責任が直接的であれ「不作為」であれ「改めるべき過去の事実」であることは間違いがないのだから。 さてさて。 この話ではなかった。「小平市の住民投票」のことだった。地方自治体の政治にとってはこっちの方が「重要」だ。 その住民投票だが、報道でもあった通り、投票率が35.17%となり、「開票」されないことになった。 この住民投票には、さまざまな「論点」があったと私は考える。 例えば、住民投票条例が市議会で可決成立してから「50%」条項が加えられた改正案が市長側から提案され市議会も「追認」したこと。 これなど「権力」を握る側が「不利」を悟って後からルールを変えたとしか見えず、政治権力そのものの信頼を揺らいだものにしたことになったのではなかったか。 こういう「後出しじゃんけん」のようなやり方は慎むべきだし、市議会も見識が問われるみっともないものになってしまった。極めて残念なやり方、だ。 その半面で、そもそも今回付された「道路計画」のようなテーマが、果たして住民投票で取り上げるべきテーマかどうか、私は大きな疑問を持っている。 全市的な影響が考えられる施策、過去の例でいえば原発の設置や産廃最終処分場の設置、米軍の訓練や基地の受け入れ、やそれこそ市町村合併といったことならば住民投票のテーマとしてある、と思うが、今回の道路建設の場合はむしろ「市議会」での議論をきちんと監視するほうが意味があったと思う。 市議会は無用だ、という主張とセットならばそれはそれで直接民主主義のあり様とも思えるが、少なくともこういった「開発」問題は、市民それぞれの立場が多様でAかBかという選択を迫るものとしては無理があるのではないだろうか。 その意味で、市議会での議論をきちんと監視追及し、場合によっては市議会の解散、今回の開発の是非を中心的な争点にした市議会議員選挙を求める方が筋が通っているように思う。今回の住民投票の最大の問題は、ではなぜそういう市議会議員を選んだのか、という点に行きつくように感じてならない。 ちなみに直近の小平市議会議員選挙は2年前の「統一地方選挙」日程で行われているが、投票率は44.54%だった。小平市の面積は20.46㎢で、人口は18万6000人余り、市議会議員の定数は28人となっている。 我が上尾市とは面積は半分程度だが、人口や議員定数は似ている。 振り返って、我が上尾市議会を省みれば、会派の移動やくっついたり離れたり、前回の市議会議員選挙からまだ1年半ほどなのに市民不在の「子どものケンカ」みたいなことばかりやっている。 子どものことならばそれも「成長の一過程」だと考えることもできるが、いい大人がいったい何をやっているのか。 我が上尾においては、心ある市民は市政を見捨て始めているのではないか、と心配になる。杞憂であればよいが。