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奮闘する「大器晩成」日記

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February 17, 2013
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カテゴリ:政治「物申す!」
 アベノミクスだとか円安とか、庶民にとっては何のメリットもない経済政策に何故か庶民は喝采を送っている事態に暗澹たる気持ちになる。


 だが、それよりも何よりも、静かにしかし着々と進む「改憲」の動きにイライラを募らせている。


 というのも、こんなフェイスブックページに行き当たったからだ。


 この維新の新人衆議院議員のページの2月13日の記事を読んで、こんな程度の見識で大丈夫なのだろうか、心配になった。


 この男は「権利ではなく義務に生きる美しい国」などとノタまっている。いちいち引用も面倒なのでちょっと長いが全文コピって貼っておこう。
 メンドーだと思いますが、少し時間を頂いてお目をお通しくださいましな。


「【この国をどんな国にしたいか】
政治家だけじゃなく国民の皆さんと一緒に一人一人が、権利ではなく義務に生きる美しい国にしたいです。

特に前回2009年の選挙時に顕著になりましたが、「我が党は○○に保障金だ」とか、「我が党は△△手当だ」とか、週末のバーゲンセールのような選挙になってしまったでしょう?
今回の選挙はその経験や教訓を踏まえて、きちんとした目で政治家を選んでいただいたと思うんですが、国家全体がこの国を守る、日本という国をきちんと相続して次の世代に引き継いでいく、という健全な国民精神を取り戻していかないと、この国難といわれる状況は決して乗り越えられません。

たとえば子供の教育や子育てに関してはきちんと親が責任を持つとか、自分の親の面倒くらい家族で見ようとか、そういう一人ひとりが果たすべき当たり前の責任を果たしていくところからスタートすると思います。
私はよく街頭演説などで話していますが、選挙になると、子育て支援をどうするとか福祉をどうするとかいう話になりますよね。

でも今私たちが考えなればならないのは、じゃあ国からお金もらえなきゃ子供一人育てられないような国にしてしまっていいのか? 国からお金もらわなきゃ自分の親の面倒みられないような、そんな国になりつつあるのではないか? そんな国にしちゃいけない。

はっきり言って政治がどうであろうが、自分の親や子供、さらに孫といった本当にコアな部分は自分たちの責任で守っていける国にしなきゃいけないと考えます。
国にお世話にならなければ当たり前の営みすらできないような国になってしまったら、それこそこの国は終わりになってしまうと思います。」


 どうでしょうかね。この程度の見識の持ち主が国会議員なのだから、のけぞる、ね。


 後半部分はその通りですよ。「国から金を貰わなければ子育てや介護ができない国にしてはいけない」ってのは全くその通りだよね。


 だけど問題は「義務に生きる美しい国」だと前提で言っていることだ。ということは生活が追いつめられても自力で何とかしろ、と言っているということだ。


 この男は、国会議員のバッチをつけちゃったんだからまず「憲法」をきちんと学んでほしい。心からそう思う。


 そもそも憲法とは「統治の基本法」だが、「近代の憲法」は人間が持つ「自然権」を権力の特に「国家権力」の横暴から守る、という役割なのだ。


 最近「アベ」首相が、「改正はまず」と言っている「96条」の3分の2条項ばかりがクローズアップされるが、日本国憲法の先進性を具体的に表しているのは実は「99条」だと言える。


 99条には「憲法の尊重擁護義務」が書いているが、この義務を負っているのは「天皇と摂政」「国務大臣」「国会議員」「裁判官」「その他の公務員」となっていて、一般の国民にはこの義務を負わせていない。


 つまり「国家権力」を行使する立場にある人に、憲法の「尊重擁護義務」を負わせている。民間企業に就職したときと同じように、公務員になると「誓約書」を書かされるそうだが、そこには「憲法を順守し」というコトバがあるやに聞く。


 それは、この「日本国憲法」が講学的な分類ではいわゆる「近代の意味の憲法」に当たり、人間が当たり前に持つ「権利」を国家権力の横暴から守るという役割を担っているからだ。


 この憲法に書かれた「国民の義務」はたった二つで、「納税」と「勤労」だ。だがこれとて、すべての権利が保障されているから発生する、と解されている。


 これらを踏まえて、では「憲法改正」を主張する人ってどんな人だろう、と見渡すと、あれあれ、つまりは憲法に「制約」されている人、ばっかりじゃないか。


 一般の国民は憲法に何ら制約されていないのだから「変えたい」という主張をする必要がない。


 いやいや~。憲法改正した方がなんとなく良くなるかのような宣伝に騙されるところだった。


 冒頭に引用した若い国会議員の言う「義務に生きる美しい国」というコトバに至っては、みっともないほどの浅学菲才をさらけ出している。


 若さゆえと許されるには、バッチをつけてしまったがゆえに具体的な権力を持ちすぎている。


 「危険」だ。


 まず、憲法とはなんなのか、憲法の役割とはなんなのか、そこから「お勉強」を始めてほしい。そして日本国憲法をきちんと勉強してほしい。それが国会議員になったものの「責任」だ。


 それから、日本国憲法は全体をきちんと守るべきで、9条だけを特にピックアップして「肝」だと主張されることにも私は相当な違和感がある。


 この件はまたあらためて書きます。





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Last updated  February 17, 2013 09:29:22 PM
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