親との近居を選択した私の経験
私の父は2018年1月に亡くなり享年85歳、母は2023年12月享年90歳で亡くなりました。私の両親は札幌のマンションに住んでいました。母が大腸がんで入院することになって、足腰が悪く自動車の免許もない父はディサービスを受けることになりました。そして母の大腸がんがステージ3で、はがすのに困難を伴う手術で当初の入院予定から大幅に伸びてしまいました。そして父は勝手にお弁当のサービスは断るは、ディサービス自体を断ってしまいました。もう娘も巻き込んで親子喧嘩となりました。買い物すら困難な父だったので、札幌から60キロほど離れたところで働いていた娘と弟と私で母が入院中の介護することになりました。弟は市場関係に勤務していたので、水曜日と土曜日が休みでした。娘も有給があるとのことで月曜日火曜日休んでもらいました。私は木金という具合に3人で父の身の回りの世話しました。この生活は約2ヶ月続きました。母が退院したので、私が札幌から釧路へ両親を引き取ろうと思いました。今となっては家内は評価してくれてますが、当初誰にも相談せず、私の独断で釧路のサ高住に申し込みました。家内や子どもたち弟に相談してもただ時間が過ぎて拉致が開かないと判断しました。親の老後は私が決めるという硬い決意でのぞみました。運良くサ高住は申し込んでから2ヶ月後に入居できることになりました。私が同居を選択せず近居を選択したのには理由があります。札幌の分譲マンションを購入した息子夫婦のところに、私は札幌での出張があり、せこいですが会社の経費を浮かせようと思い、息子の家に泊まることにしました。3日間泊まりましたが、私にとってはものすごい窮屈な時間でした。夜中トイレに入っても水を流した音で起きたら駄目と思い、少しずつ流し、また便座を拭きました。お風呂も上がってからバスタブを洗いました。ゆっくり浸かることもできませんでした。私はいつもソファーに足を伸ばしてテレビを観てますが、息子の家では背筋を伸ばし姿勢良く座って観ました。冷蔵庫を勝手に開けることもできず、また息子の嫁さんから、朝は和食ですか?洋食ですか?と聞かれ、本当はしっかり和食を食べるのですが、朝は食べないからと嘘つきました。そして息子の家を出て、すき家でというパターンでした。私には息子夫婦というか同居は絶対無理と思いました。やはり自分の家が一番だったのです。その事を家内と母に伝えました。母は私が同居しようと言ったら断るつもりだったと。私がサ高住という母にとってはベストの環境を選択したことに有り難いと言ってくれました。そして母はサ高住から要介護4となり同じ敷地内にある特別養護老人ホームに入所となり、90歳老衰で亡くなりました。家内・子どもたち・弟から私が勝手に決めたことになんで相談してくれなかったと散々言われましたが、母が亡くなって半年経ち、今では家内からなんて勝手な奴と思ったけど、自分の親でも貴方のようにはできないと。弟から兄貴ありがとう、そしてお疲れ様でしたと言ってくれました。私の介護を含めた行動を子ども達に伝えることが出来たと思います。今は家内の母親が83歳でひとり暮らしです。私は家内にまだまだ現役で働くから費用のことは心配するなと言ってます。親の介護においては、近居という選択肢もあります。私の自宅から母のサ高住は距離にして1.5キロでした。介護スタッフの人たちには24時間何かあったらいつでも電話を下さいと言ってました。また私は定期的にお菓子を差し入れてました。普通は受け取りませんが、これは「差し入れですからお茶請けで食べて下さいと」言って渡してました。私は当初介護のシステムが全く分からず、娘より年下のケアマネに、介護についてもっと勉強して下さいと言われてしまいました。自分の無知を恥じました。そして分からないことは聴くことにして、自分でも介護について勉強しました。親の介護はある日突然にやってきます。そして同居がいいのか近居がいいのかジャッジしなけばいけない日が来ます。私が10代の頃ピンクレディーに対抗して、キャッツアイ!! 恐らく知らないと思います。(笑)あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会|さえりん♥ストラップ (aichinijiirokai.wixsite.com)