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カテゴリ:園芸
中日春秋 (書写) 笑いにも悲喜交々で山笑ふ 人は恐怖や絶望を前にしても笑ってしまうものらしい。奇妙な笑 いについて作家の内田百閒が『東京焼盡』の中に書いている。東京 大空襲の夜のことである▼火の手の明るさで逃げていく人の顔がは っきり見えたそうだ。みんな平気そうな顔で「声も晴れやか」だっ たという。「著(着)のみ著のままだよと、可笑しそうに笑いなが ら行く人もあった」▼東京大空襲から10日で79年となった。約300 機の米軍のB29爆撃機が下町を中心に焼夷弾を投下し、2時間半ほ どの空襲で10万人が亡くなった▼空襲の短さに比べ、犠牲者数が大 きい。不釣り合いな数字に空襲が引き起こした火の手の強さと、巻 き込まれた人々の恐怖の大きさをあらためて想像する▼百閒は空襲 下の笑いを「江戸ツ子と云ふわけでもあるまいけれど、土地の空気 でこんな時にもさらりとした空気でゐられるのかと考へた」という 。それもあろうが、極限状態の中で人々は笑うことで心の均衡を保 つしかなかったのかもしれない。それとも絶望の果ての捨て鉢な笑 いか。泣き、叫ぶに匹敵する笑いが存在する現実を知る▼79年が経 過した。空襲、戦争は永遠に無縁となったかと問われれば、自信は ない。国を守るため、防衛力を強化する。共同開発の戦闘機も輸出 する。最近の武張った動きの先に何が待つか。臆病者は想像し、や はり恐怖の笑いを浮かべる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.10 06:18:47
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