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カテゴリ:園芸
中日春秋 (書写) 歌舞伎小屋庶民密着土匂ふ 西洋を崇めた明治期、歌舞伎は卑俗とみなされ「改良」が叫ばれ た▼東京の新富座は洋風に改築され、開場式で燕尾服の団十郎らが 舞台に並んだ。旧弊は不要と、客に見られながら役者が舞台に歩を 進める花道の廃止論も唱えられた▼椅子席誕生も明治。歌舞伎史に 詳しい服部幸雄さんは著書で、土間や桟敷に座布団を敷いて見た江 戸の歌舞伎小屋の方が開放的で、見知らぬ隣の客ともうち解ける「 共同体的な楽しさ」があったと分析する。椅子席は娯楽から鑑賞へ と、とっつきにくくした面もあるようだ▼江戸の歌舞伎小屋を再現 する『名古屋平成中村座』の座布団席で中村勘九郎、七之助さんら の『身替座禅』『弁天娘女男白浪』を見た。初代中村勘三郎が今の 名古屋市中村区出身との説にちなみ場所は中村区の同朋高校体育館 。椅子席は後方一部のみで多数が座布団席である▼やや狭く、何度 か座り方を変えて隣の女性に「すみません」と頭を下げたが、先方 は常ににこやか。椅子なしで身を寄せ合う共同体的寛容さだろうか 。会場案内は元気な高校生ら。各地を巡る平成中村座は勘九郎さん らの父故・十八世中村勘三郎さんが始めたが、気軽に楽しんでとの 思いは伝わる▼明治に廃止論もあった花道。同朋高は体育館の構造 上20㍍を超え歌舞伎座より6㍍ほど長い。その分長く役者は客のそ ばを歩く。庶民の小屋の幸せだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.13 05:08:07
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