テーマ:今日のワイン(6013)
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Corton、そしてCorton Charlemagneのアペラシオンは エチケット表示が複雑である。Cortonと畑名無しでも良いし、単一畑のものは畑名を入れても良い(実際Le Cortonという畑もあり、紛らわしい)。赤のCortonについては結構良く知られているが、Corton Charlemagneについては余り知られていないのではないかと思う。実際私もブルゴーニュを始めて十年以上もCorton CharlemagneはEn CharlemagneとLe Charlemagneの畑から出来る白ワインだけだと理解していた。これは間違いである。 Appellationの規定上はCorton Charlemagneを名乗れるのはEn Charlemagne、Le Charlemagneの他にLe Corton, Les Pougets, Les Renardes, Les Languettes, Hauts Mourottes, Basses Mourottesと都合6畑である。 Corton-CharlemagneはCortonとは違い、畑を名乗れないので先に書いた誤解が生じやすい。 何故このような複雑な表示になったのかはその特異な経緯による。1860年にCABの格付けがなされ、徐々に優れたクリマが広く人々の間にしられるようになったが、当時の文献を読むと、特定のクリマではまだエチケット表示が統一されていなかった事が伺える。更に出来が悪い年は他地区のワイン(ボルドーなど)を混ぜて売っていた事もあったらしい。これはシャンパーニュも同じで当時の新聞にはロワールからブレンドするためワインを取り寄せるメゾンに抗議して葡萄農家がデモする事が書かれている。 Jaquet et Lafert(2005)の論文がCortonについて論じている。CortonはAloxe、Ladoix, Serrigny(取り敢えず2村として数える。Ladoix-Serrignyとなったのは1988年)、Pernandの4村にまたがり、CABの畑格付けの後も畑名を入れずCortonとして売られていたらしい。だが、1919年5月6日の最初の原産地呼称の法律が施行されると政治力の或るAloxe(その時は既にAloxe-Cortonと名称を変えていた)が他の村にCortonの名称を使用する事を制限しようとした。それに対抗してSerrignyがCote d’Or県の議会の支持を得て、名称をSerrigny-Cortonと名称を変えようとしたがAloxeが反対して裁判で却下(1923年)、これからAloxeとLadoix-Serrignyとの間で法廷闘争に入り、 1930年に一部の畑でLadoix-Serrignyの使用を許可(これはCAB一級のVergennesやRognetの畑があること考えれば合理的である)を、1931年11月決定を覆すよう控訴したが棄却、だが1937年11月にこの決定が覆され、(1937年7月にAOCが制定されるがこの覆った決定を受け、)1942年にはAOCからLadoix、Pernandを排除、1954年に再度編入という複雑な経緯だ。(括弧内は筆者追記) 因にアペラシオンの規定でCortonは畑名を名乗れるため、色々なアペラシオンがあるように勘違いしやすいが、あくまでもCortonである。アペラシオンからはこのエチケットはNon-conformingだと思うのだがこれも政治力だろうか、それとも歴史的意義を踏まえての特例か。 ところで論文はこの過程を大ネゴシアン(文中にはこのドメーヌが名指しで出てくる)対零細農家(当時の葡萄農家は0.5~3ヘクタールと現在より遥かに小規模である)との対立と捉え、社会学的に捉えている。前に書いたChablis(Chablis GCをChablis村に与える事で他の村にもChablisの名称を認めされる)やPremeaux-Prissey村にNSGを名乗られせることを許したNSG村の他例と比較するともう少し面白かったと思うのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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