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2006年01月19日
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昨日は、第一次世界大戦中に中国大陸や南洋諸島などで日本軍の捕虜となり、四国・徳島県の坂東(現・鳴門市)の捕虜収容所に収容されたドイツの将兵と地元の人たちの交流を描いた『ドイツさん』を紹介しました。

今日はその関連で、戦前の日本での在日ドイツ人と日本の関係とはどのようなものであったのかを知る本として、上田浩二(筑波大学教授、専攻はドイツ文化、異文化交流論。)・荒井訓(早稲田大学助教授、ケルン日本文化会館に勤務。)著『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社、2003年)で書いてみたいと思います。(この本で言う「戦時下」とは日中戦争の始まった1937年から、在日ドイツ人の大半が送還された1947年、終戦の2年後までの事を指します。)

日本とドイツの関係と言いますと、歴史の教科書ではまず、大日本帝国憲法との関わりで出てきますよね。帝国憲法のお手本となったのが当時のドイツ帝国の欽定憲法である事は、よくご存知だと思います。また、軍事に詳しい方なら、陸軍がドイツ式に編成・訓練された事や、陸軍大学校にメッケル少佐を招聘した事などを思い出されるでしょう。そして、歴史の教科書では昨日取り上げた第一次世界大戦の次に出てくるのが日独伊三国防共協定で、この同盟関係のまま、日本は枢軸国側として第二次世界大戦に突入することになるのです。

このように戦前、とくに昭和に入ってからは、日本とドイツは非常に緊密な関係にありました。では戦前、日本にはどのくらいのドイツ人がいたかと言いますと、なんと終戦時でも約3千人ものドイツ人が日本に滞在していたのです!では、これらの人は一体何をしにドイツからはるばる万里の波濤を船で越えてまたはロシアの原野を汽車に揺られて(戦前、欧州から日本への最短ルートは、シベリア鉄道を使う事でした。このルートだと、2週間程度で東京からベルリンまで行けました。船だと最低一月はかかります。)日本へやってきたのでしょうか?

まず、日本にやって来たのは外交官です。次はビジネスマンなのですが。では、どのような人がいたかと言いますと、まず、真面目に仕事が目的で来た人。本では、親の代から住み着いて貿易商をやっていた人から、中国大陸で仕事をしていて都合で日本にやって来た人の話が載っています。また、日本に知人の勧めで遊びに来て(女性一人で!)、第二次世界大戦の勃発で船が日本に逆戻りして仕方なく、日本で就職した女性。そして、ナチス・ドイツの迫害から逃れて日本へとやって来て、食うために真珠商となった危険人物(笑い話は、商売が上手でよい真珠が手に入るということで、ナチ党幹部がネックレスを買いにお忍びでやって来たという逸話です。)等など、実に多彩な経歴の人が来日しています。

そして、次はドイツから日本へ勉強しに来た留学生。。これは、第一次世界大戦後の日独両政府や大学の文化交流の一環として交換留学生という立場で来日にしました。この『戦時下~』の交換留学生の部分を読んでみて意外に思ったのが、留学生たちが法学や政治学を日本で専攻していた事です日本が憲法や各種法律の手本としたドイツからの留学生が「日本における検察の役割」というテーマで博士論文を書くため、来日するとは。以外でした。その他には、やはりというか東洋美術専攻で「日本の伝統美に憧れて」来日して、今の日本人が真っ青になるほどので礼儀作法を学んだ女学生や、ドイツで歌舞伎の公演を見て日本の演劇を学ぶべくサラリーマンをやめて来日した男性(奨学金が無いので、NHKの海外向け放送のアナウンサーになって、終戦時に国外に向けて日本の敗戦を報じることになります。)など、実に様々な若者が日本にやって来ていたのです。

これら、外交官や貿易商・商社マン・技術者、留学生は主に東京や神戸などの大都市に住んでいたのですが、実は意外と地方にもドイツ人は住んでいたのです。その地方に住んでいたドイツ人たちは、旧制高校の先生たちです。戦前、旧制高校では外国語としてドイツ語も教えていました。その教員としてドイツ人がやって来たのですが、面白いのが彼らが「言語」が専門ではなくて「日本文化」等で、日本を研究するために教員として来日した人が多かったようです。(あと、宣教師も。)彼らは、長野県の松本や、広島、高知、茨城県の水戸などの地方都市で教鞭をとっています。この『戦時下~』には彼らが家族と共に、地方都市でどのように日本人と接して生活していたかを生き生きと描いています。ここでも面白い話があって、松本で教鞭をとっていた先生の娘さんが語るには、お父さんは和食が好きで信州名物のイナゴでも食べていたのに、イギリス風のトーストは「綿を噛むよう」で嫌だったそうで、わざわざ神戸からライ麦粉を取り寄せて、ドイツ風のパンを焼いていたそうです。当時の地方での外国人の生活の苦労が、垣間見えますね。(他にも、昨日紹介した神戸のフロインドリーブから定期的にパンを取り寄せたとか、和食には慣れたけど、時々、東京のドイツレストラン、ローマイヤーで食事した、という記述もあります。)

さて、私がこの本を購入したの理由とは、篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』を見て、戦前のドイツ人はどのような環境にいたのかな?と興味を抱いたためです。戦前、最大のスパイ事件として有名な「ゾルゲ事件」はドイツ、フランクフルト新聞の特派員として来日したリヒャルト・ゾルゲが首謀者です。彼は、スパイ組織を築き上げ、ドイツ大使館に潜り込んでオット駐日大使に取り入り(駐在武官時代から。)、ナチス党員になって日独双方の信用を得て機密情報を収集し、ソビエトにその情報を無線で送っていたというものです。そしてソビエトは、日本の真珠湾攻撃をゾルゲからの情報をもとに、対日戦用にシベリア・極東に貼り付けていた部隊を対独戦に投入することが出来て、モスクワを救う事ができたのです。この事件により、日本側の首謀者、尾崎秀実(ほつみ)が時の近衛文麿内閣のブレーンだったため、近衛周辺の人物まで逮捕されてしまい、これが近衛内閣退陣、東条内閣組閣の要因となったほどの日本を揺るがす大事件でした。この事件に関しては、尾崎秀実の実弟、秀樹(ほっき)が『ゾルゲ事件 尾崎秀実の理想と挫折』(中公新書、楽天では在庫なし。)を読んでみて下さい。私はこの部分を読んで、当時のドイツ人とドイツ人社会は、ゾルゲをどのように人物であると認識していたのかが理解できて面白かったです。

他にも、ナチスの影響がドイツ人社会に及ぼした影響、ヒトラー・ユーゲントや党員の集会に関すること、日本人との間に生まれた子は「アーリア人」ではないので、党の集会に参加できない、というような記述や、大使館のゲシュタポ(秘密警察)の活動についてなど、これまで分からなかった新事実が載っていて、非常に興味深いものがありました。また、このような政治的なものから、先に紹介した日常の生活、さらに、戦時下、束縛されていたと思われていたドイツ人たちが意外と自由に行動し、疎開先も軽井沢とか箱根というような観光地であったことは驚きでした

このように『戦時下日本のドイツ人たち』は、当時、日本で生活していた人々、24人から実際にインタビューをして、戦前の日本でドイツ人たちがどのような生活を送っていたのか、当時のドイツ人社会はどのような状況だったのか、そして、ドイツ人、つまり外国人の第3者的視点から見た太平洋戦争下の日本はどのようなものだったのかを、記録し解説を加え紹介した一冊です

それにしても日本という国は太古の昔、弥生時代には中国大陸の戦乱を逃れてきた渡来人に稲作や青銅器を。飛鳥時代には動乱の朝鮮半島を経由して仏教が。戦国時代末期には倭寇の手によって鉄砲が。幕末には黒船の武力で開国し、明治以降の異文化交流も、日清・日露戦役の清国・ロシアの捕虜に第一次世界大戦のドイツ兵捕虜からそれぞれの国の文化が。また、同じく第一次世界大戦時、地中海への船団護衛のため派遣された海軍の艦艇の乗組員たちは遠い異国での体験を故郷で話し、中国・インド・ロシアから亡命してきた革命の志士たちもそれぞれの国の文化を(新宿、中村屋のカリーは、インドから亡命したラス・ビハリ・ボースが伝えました。ちなみのこの人、中村屋の娘婿におさまっています。)伝えました。このような例を並べてみると、日本という国は、戦火の火の粉と共に異国からの文化や技術がもたらされてきたということが良く分かるでしょう皆さんは私のこの考えについて、どう思われますか

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最終更新日  2006年01月20日 03時11分56秒
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概ねそう思います   余菱 さん
必ずしも「戦火の火の粉と共に」というわけではないでしょうが、戦争は文化がダイナミックに流動する時期なので、私も基本的にそう思います。
ただ、逆説的に考えると、戦争に巻き込まれたり、巻き込まれそうになっても、先の大戦までは占領された経験がないからこそ、戦時に流れ込んだ新しい事物を自分のものとして消化できたのではと思います。そういう意味で日本は非常に珍しい国だと思います。 (2006年01月20日 23時06分08秒)

Re:概ねそう思います(01/19)   花開富貴 さん
余菱さん。チョッと文学的修辞を用いたため、表現が大げさになりましたね。

>ただ、逆説的に考えると、戦争に巻き込まれたり、巻き込まれそうになっても、先の大戦までは占領された経験がないからこそ、戦時に流れ込んだ新しい事物を自分のものとして消化できたのではと思います。そういう意味で日本は非常に珍しい国だと思います。

その通りです!日本という国は、太平洋戦争に敗戦するまでは、他国に占領されたことの無い世界史的に見ても稀有な国なのですよね。

でも、それを差し引いても日本という国は良いものであれば何でも、外国からの新しい文化・技術を取り入れて、さらに単なる模倣だけではなく発展・進化させ自らの文化に取り込んでしまうという、鵺みたいな一面を持つ世界的に見ても、特殊な国&国民(民族と言っても良いのですが…。)ですよね。 (2006年01月21日 06時56分19秒)

kkk   kkk さん
khkkkkkk (2007年02月06日 18時38分07秒)

第二次世界大戦   背番号のないエース0829 さん
映画〈ジョジョ・ラビット〉に、上記の内容について記載しました。
もしよろしかったらaccessしてみてください。


(2020年02月22日 21時10分09秒)

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