テーマ:闘病日記(4009)
カテゴリ:C型肝炎闘病記
今日は朝から大忙し。内部研究員の会議があったのだが、前半の発表者のコメンテーターと、後半は自分が所属する予測チームの発表。後半はリーダーが発表者だったが、討議では実働部隊の私達が援護射撃をしなければならず、早口の理事長にあわせて早口でまくし立てました 昼になったところでちょっとぐったり。でも、何とか都心の某大学での講義(夜8時から)まで駆け抜けました。 さて、最近のニュースでは厚生労働省関連の不祥事が多いですねえ 年金保険料の記録漏れ問題に始まり、最近は血液製剤でC型肝炎になった人たちの名簿隠し問題まで、とにかく、わざとかどうかは別として(たぶんわざとでしょうけど)「何もしない」ことが問題になっていますね。できる限り余計なことはするべきではないと思いますが、必要なことをしないなら、そのお役人の存在意義はどこにあるのでしょう。正直、そんな人を雇って給料を払っていることこそが「無駄」ですよねー 一方でお役人は余計な仕事をする。例えば、たくさん階級をつくって、何でも稟議をして、はんこをおして物事すすめるので時間がかかるのが有名です。でも、昨日も書かせていただきましたが、血液製剤の被害者の名簿隠しで、メモが残っていて、しかもそこで窓口と明示されている人が「そんなこと覚えているわけないじゃないですか」と開き直っている。メモが残っても知らないというのなら、いちいちこまごまとした文書を作る事自体「無駄」。そんな無駄につきあわされて、各種手続きで時間がかかって困った経験がある人も少なくないのではないでしょうか。 そんな厚生労働省がやった余計な事の代表格は、介護保険ではないか、と私は考えています。 そもそも介護保険は、医療費の膨張を防ぐことが狙いでした。しかし、制度ができたとき、私は「制度を分ければ節約になるのか?」ととても疑問でした。 確かに病院で見てもらうほどではない、リハビリの人であれば、介護専門の施設で生活援助をしながら、自宅復帰に備える方が経費が安く済むかもしれません。しかし、実際はそんなにきっちり介護か医療か、なんて分けられないのです。その境界線にいる人々の結構多くの人々が、いわゆる療養型病床の削減で行き場を失いつつあります。 病院で見れないから、介護施設でみろといわれるが、介護施設には空きがない。空きがあったとしても、今度は医療行為に制限があるから、介護施設では十分なケアができない。制度を分けたことによって事態を複雑にしてしまっているのです。こんな例は枚挙にいとまがありません。 この結果、病院から追い出される人が増えることで、医療費は削減できるでしょう。しかし、この人の生活はどうなるのでしょう。自宅に戻るとすれば、それを支える人の人生はどうなるのでしょうか。 厚生労働省は、一方で女性や高齢者の労働参加を呼びかけています。政策面で支援もしています。しかし、病院から追い出された人々を支える人が働くという事態は、頭の片隅にもないようです。 一方、介護保険が導入されて、ヘルパーさんをお手伝いさん代わりに使う老人も少なくないと聞いています。さすがに最近は厳しくなっているようですが、認定手続きさえ通ってしまえば十分なチェックはできていないのではないでしょうか。こうしたところに、介護保険料や国の税金が投入されていることは「無駄」そのものです。 各官僚が自分の分野しかみず(たとえ同じ省庁内にいても)、自分のところだけ見た目が綺麗になればいいという発想だから、日本全体でみると非常に大きな矛盾を抱える結果になっている。増えているのは官僚の無駄な事務仕事だけ・・・いやはや、何のために私たちは高い税金や保険料を払っているのでしょうね。
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Last updated
October 25, 2007 11:32:29 PM
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