テーマ:闘病日記(4009)
カテゴリ:C型肝炎闘病記
今日は10数年ぶりに、昔の先輩と会食した。 新聞記者生活1年目に所属した取材チームの大先輩。「ニヒル」「ダンディー」(古い その先輩がその出版社にいることをひょんなことから知り、メールのやりとりを経て、本日の会食となった。 10数年ぶりにあった先輩は昔とほとんど変わらず。でも、もう56歳と聞いてびっくり。さらに、当時お宅にいた可愛い女の子がもう大学2年生とか。まあ、自分も44歳になったのだから当たり前か 確かに教育学部は数多くの大学に存在する。しかし、今後、子供の減少が確実な中で、そんなに多くの教育学部は要らない。しかも、最近は社会人が先生として採用され、活躍する例も少なくない。教育学部を出なければ先生になれないという時代でもなくなってきた。そもそも、小学校の先生の教育力が塾の先生(この多くは専門分野はもっているが必ずしも教育学部出身ではない)に負けている時代である。 こうした流れの中で合併話が出た某県と某県の大学。重なっている分野は教育学部だけで、統合メリットが生かせそうな話だが、その教育学部OB(想像するに多くは現職教員)が反対運動を繰り広げて、合併を阻止したという。こんな風に時代が読めない人間が、子供を教える将来の指導者を育てているかと思うと、ぞっとする。 予測作業も今日はひと段落。いつもより早く帰宅できたので、駅前のマッサージへ。元々肩こり症だが、「ペグ+リバ」治療でさらに身体が固くなっている。マッサージしてもらって再確認しつつ、身体が軽くなった。 帰宅後ニュースで、C型肝炎問題で実名判明者が増えていることを知る。また、当時の責任者(薬務局長など厚生省OB)に放送記者が直撃インタビューをしたときのあきれた対応を聞いて、怒りがこみ上げてきた いまは関連団体の役員に納まっているそうだ。過去の不祥事を厳しく追及して欲しいものだ。そうしなければ、こうした官僚の無責任体質は変わらない。 ちなみに、昭和と平成の境は昭和64年1月7日。昭和天皇崩御の日。私はよーく覚えてます。 当時、長男をみごもっていた妻は、祖母の家に遊びに行っていました。その日は土曜日で、私は職場の先輩とスカッシュをしてから会社に行く(当時は土曜日は休みではなかったので・・・)予定でした。朝起きてテレビをつけると、黒いスーツのアナウンサーが。 「いよいよ崩御されたか」。当時は新聞編集現場にいたので、崩御デーに備えた臨戦態勢が続いてました。ちょうど大晦日にかけて病状が重篤になっていて、年末年始もない状況でしたので、正直ほっとしてしまったのを覚えてます(天皇陛下、すみません)。 テレビを見て、すぐに先輩に電話、会社に向かったことを昨日のように覚えています。テレビに出ていた厚生省のOBもたぶんそうでしょう。そのくせに、わざとらしく覚えていないとのたまう。。。悪質です 空気の読めない教育学部OB、厚生省OB。ともに公務員。問題の根は深いなあと思った次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 24, 2007 11:24:39 PM
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