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カテゴリ:真田丸
■前半戦終了。バイオリンでテーマが奏でられ、塗り壁に書かれたタイトルが踊り、まず脚本家の名前が誇らしげに映され、四角い穴の中からその回のダイジェストが流れ、演出家の名が知らされた後、有働ナレーションと共に、歴史的事実が文字情報で示される。そこまでぴったり3分。まさに様式美とでも呼ぶべきオープニング。
■何か悲しいことが起こる回には必ず喜劇的シーンが挿入されるのもこの作家の様式美のひとつ。今回のコメディパートを受け持ったのは小林隆と高畑淳子。3分でできたかどうかはわからないが、かろうじて出来上がったひとかけらの薬草を草刈パパが食べてしまって「わしが元気になってどうするんだ!」に笑う。 ■もう一か所は大泉君のこちょこちょ大作戦失敗の巻と、自分の城の隠し扉に引っかかってどうするの巻の二本立てだったのだが、そのやるせないもやもやはなんとなくわからないわけでもない。いずれ仲睦まじくなる予感がプンプンしているので、吉田羊にはもう少しつんけんし続けて欲しい。 ■さてメインの悲劇の方は利休の切腹と鶴松の死。前者は珍しく時制を崩して回想形式で語り、後者は刻々と迫るその臨終の時を周辺の家来、大名、一族らの様々な思惑を描きながら見せる。 ■たとえば治部三成と刑部吉継の対比。これまで理の三成、情の吉継の様に思えていたものが、すっかり逆転してしまっている。そして徳川家康と真田信幸はたまたまふたりとも祈るしかないと口をそろえるが、両者が祈っているのは世継ぎの回復などでは決してなく、この政権が音を立てて崩れていくことに他ならない。 ■もうひとり今回命を落とすことになる秀吉の弟、秀長が兄に向かって「あなたはあと何年くらい生きるつもりか」と問う。歴史を知っている私たちはおそらく10年以内にあなたは死ぬのだと即答できるのだけど、当事者たちにとって未来は想像でしかなく、おそらくあの子が世継ぎになり、彼が脇を固め、彼と彼が結束して一族の栄華は守られるという理想を信じられる度量と自信はこの秀吉にすらないのだ。 ■私の大事な人はみんな死んでしまう。茶々様(ちゃちゃさま)あるいは淀殿(よどどの)〔たしかに舌を噛みそうだ〕が言うセリフは沖田総司君が言った私の好きな人はみんな私の剣で死んでしまうにも似て、涙を誘う。悲しむのをやめたはずのそんな姫が寧の胸で号泣するラストもまた山南敬助の死の前でぐずぐず泣きをした近藤と土方の姿と重なる。ここにもまたこの作家の様式美がある。 ■様式美ついでに書けば、悲しみのどん底を描いた回の後にはきっとコメディ要素満開の回が続くというのもこの作家の決まり事。次回の仮装大会にはそんな予感がプンプンする。対比ついでに書けば、今回怖すぎる利休切腹のシーンのB面にはお花畑感満載の小山田ダディ夫婦再会のシーン。ポプリの匂いが画面から漂ってきそうな笑顔に毎回癒される人多数。あ、小早川役者浅利君初登場も今回。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/06/27 12:19:32 AM
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