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カテゴリ:真田丸
■軍議には優秀な議長が必要である。治部も刑部もいなくなり、最古参の片桐殿も敵方についてしまった今、その役目を引き受ける羽目になったのは大野修理。この腰が引けたいかにも小さな人物にとって若殿の御前で五人衆の意見をまとめることはかなり難易度の高い要求であったのは間違いない。
■提案された原案は大坂城に籠城すべきという策。全員がその案に賛成する中でひとり異議を唱えたのは真田信繁。実はすでに籠城案は修理側からの根回しがあって、5引く1人衆にはそれに賛成すれば何らかの見返りが保証されていたわけだが、軍議の場で信繁によって説かれた家康攻めの妙案にまずは毛利が賛同する。 ■この戦、負ける気がしない。どこまでポジティブなのかわからないが、彼にそう言わせる根底には徳川に二連勝した父、昌幸が授けた戦術奥義があり、たとえはったりであっても、なぜだか家康には負けないという自信みたいなものが彼の身体にも乗り移っているかのような妙な安心感があるからかもしれない。 ■籠城は時期尚早、家康を攻めるべしという軍議の決着に異を投じる胡散臭い井上順を一喝した大野修理には「黙れ小童」級の喝采を浴びせたいところだったが、そんな前向きな提案も豊臣上層部淀君、大蔵卿によって一瞬のうちに却下される。秀頼も修理もいまだ母親には逆らえない。 ■豊臣家の牢人たちに対する不信感は結局茶々殿の秀吉に対する思いに根ざしているという描き方。結局上層部はこの戦に勝とうとはしていない。ただ負けてはいけないと思っているだけだ。それは彼らが最終的に守ろうとしているものが豊臣家という栄華極めた集合体ではなく、ただ自分の息子、あるいは兄弟という個人であったということ。そこが真田一族との違いというわけだ。 PS ■五人衆がそれぞれの思惑を曝け出し、いざ豊臣のために戦っていこうという横並びの立ち姿を見ながら、こんな風景以前見たことがあると思った。滅びつつある体制を守るために結束する男たちの悲哀。そうか、この何百年か後に将軍警護のために京に向かう若き日の浪士たちの物語。あの中にもたしか堺雅人はいたはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/10/30 09:31:18 PM
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